エンパワーメントとは?これまでの一旦のまとめ

女性グループとエンパワーメント

父権主義(パターナリズム)とは?

父権主義(パターナリズム)とエンパワーマントへのメッセージ

と、このところ断片的に書いてきましたが、わかりにくくなってしまったので再度まとめてみます。


女性グループとエンパワーメント
で書いていたように、地域開発、コミュニティ開発を行うには、理論云々ではなく、圧倒的に現実は「女性グループ」を通じた活動が効率がいいのは少なくともタイでは常識です。
女は働いて子供を育てて忙しそうにしているのに、男は昼間から酒を飲んでばくちをしてけんかをしている人が多いのは、「調査」をしなくても当たり前の事実です。

これは、エンパワーメントアプローチの視点からすれば、次のようになると思います。

・女性はエンパワーされている人が多い
 =非常に厳しい社会経済状況の中でも積極的に生きている人が多い
 →その理由としては、子供を産み育てることに生き甲斐・責任(と推測)

・男性はエンパワーされていない人が多い
 =非常に厳しい社会経済状況の中で(仕事がない、収入がない、生き甲斐がない)なかで、酒・博打(薬)に覚える


エンパワーアプローチ的考え方では、エンパワーされていない男性に対してよりもエンパワーされた男性へのアプローチの方が「成果が目で見えやすい」といえます。
だから、
『圧倒的に現実は「女性グループ」を通じた活動が効率がいいのは少なくともタイでは常識です。』
といえるのです。

つまり、エンパワーメントアプローチでは、女性グループに対しては、「よりエンパワーする」ことが重要となります。エンパワーされた人に対しての技術的アプローチは効率的であり、エンパワーされていない人への技術的アプローチ(副収入向上、保健衛生、環境向上etc)は失敗する可能性が高いのです。
表面的には成功に見える技術的アプローチでも「エンパワーされていない」人へのアプローチでは、「投入(人・モノ・カネ・情報)により、『成功している』ように見える」だけで、投入が終わった時点で衰退に向かいます。



一方で、エンパワーメントアプローチでは、「女性が弱者だから=社会経済状況が厳しいから」アプローチする対象と考えます。一番厳しい状況におかれている人をエンパワーすることにより他の人もエンパワーしようとする考え方です。
だから、ジェンダーメインストリームで女性にアプローチする前提は「女性が弱者」であることが前提で「女性が強い社会」では「男性にアプローチ」しなきゃならないことになります。
この考え方に私がいたったのは、障害者メインストリームがきっかけになっています。障害者のおかれている困難な社会経済状況を解決するために、医療、教育、保健、福祉アプローチを行うのではなく、単純に一番弱い人=障害者にアプローチすることが重要であるというアプローチです。
そして、それによりエンパワーされた障害者自身が、医療、教育、保健、福祉サービスの向上に積極的に関与してくるのです。
それが本当の「参加型」ではないでしょうか?
(世の中には、形だけの「参加型」アプローチが多いような気がします。)

ジェンダメインストリームでも、その社会において「女性が弱者」だからエンパワーし、それにより真の参加型の社会変革活動(女性の社会的、経済的地位向上)につながるのではと思います。

ところで、「弱者」にアプローチする理由は、「弱者」を「自助努力が見えない/足りない」かといって切り捨てる訳には行かないから。
という理由ではありません。
もっと積極的な理由があるのです。

弱者を切り捨てない為のエンパワーメントではなく、社会変革の為には弱者をエンパワーメントしなければならないのです。
「『相対的な強者には技術を移転して、弱者はエンパワーメントをする』ような総合的なアプローチではだめなのです。そのアプローチによって、強者と弱者の相対的関係が変化するわけではなく、むしろ相対的関係が強化されてしまうからです。

「役人にエンパワーメントの考え方を教え、住民に普及しよう」なんてプロジェクトは最悪です。
エンパワーメントの考え方では、役人>住民の既存構造を変化して、住民>役人の力関係に変革する。
そのうえで、住民が役人を変える(変わらないような役人はクビにする)ことが必要なのです。役人がそのような自分たちの不利益になることをするわけはありません。

この勢いで話し始めると、「強者(=政府機関・役人・医師・教師など」をぶっ壊すのがエンパワーメント」というイスラム原理主義、共産原理主義も真っ青なエンパワーメント原理主義的考え方につっぱしりそう、、、、、笑
あくまで考え方の極論です。

「住民に直接働きかけてもサスティナビリティはない。政府職員に働きかけなければ」などと言いますが、
エンパワーメントアプローチからすれば、『全く逆』です。」
住民(弱者)を直接エンパワーメントしなければサスティナビリティがないのです。(なぜならば、「何事も一番真剣なのは直接の利害者=住民」だからです。そして政府職員は移動でいなくなります。住民は(基本的には)いつまでもいます。

くわえて、
父権主義とは?

書いたように、一般的には、
強者は、
・お金がある
・社会的地位がある
・権威がある
・学歴がある
という状況があるのです。
弱者は、その全くの状況にあります。

本当は弱者がサービス(医療サービス、行政サービス、などなど)を受ける弱者が上にならなければならない(「お客様は神様です理論」)のですが、現実にはそうはならず、(教養も力もない)住民や患者、障害者を政府職員や医師、教師がまもって治療して『あげる』となりがちです。その打破が、エンパワーメントなのです。


エンパワーメントをキャパビル(サスティナビリティ)に結びつけるには、

・対象住民へのダイレクトエンパワーメント

・エンパワーされた住民から他の住民へのダイレクトエンパワーメント

・エンパワーメントされた住民の広がり

「エンパワーされた住民が政府職員への教育」

そのようなパラダイムシフトが必要だと考えています。もちろん、政府機関職員にも意識の高い人はたくさんいます。その人がエンパワーメントを本当に理解して推進してくれることは非常に強力だと思います。ただ、殆どの政府職員は住民との力関係が逆転することを望まないと考えています。

となるのです。


ところで、これと関係するのですが、
コミュニティ開発プロジェクトを実施するうえで、ステークホルダー(関係者)でプロジェクトニーズ調査、計画立案などのワークショップを行うことがあります。

昔は、「裨益者(住民)」抜きで、政府職員でワークショップが行われていました。

それではダメ! 「裨益者(住民)代表」をワークショップメンバーにいれましょう!

などと言われるようになりました。

しかし、

それでは、ダメなのです。

理由は2点あります。
(1)「同じ場で議論」は一見民主的であるが、実はきわめて不公平
  =社会的強者であり学歴も高い議論に慣れている政府職員と
   社会的弱者であり学歴も低く自分の意見をまとめ表現できない住民を一緒に議論させる のは全く不公平
(2)住民『代表』が住民の声を代表する担保は誰がするのか?
  (エンパワーメントされていない)一般的には、住民代表は「政府職員」にとって都合のいい人だある可能性が高い

→だから第一ステップとしては、政府職員を排他しています。そして、住民代表は、可能な限り一番弱い立場の人(=最も虐げられている人)を選んでいます。
 (住民がエンパワーされた時点で(政府職員と対等以上の話し合いができるようになった時点で)、はじめて政府職員とワークショップが行うことができるのです)



ああ、筆者の論理的思考能力と表現力の問題で、ぜんぜんまとめにならなかった、、、かも!


父権主義(パターナリズム)とエンパワーマントへのメッセージ

女性グループとエンパワーメント
から、つながった
父権主義(パターナリズム)とは?
に関して、医療関係者からメッセージをいただきました。

「父権主義」、、、聞き慣れない言葉なので早速ウイキペディアで検索。
パターナリズムとも言うそうですね、こちらの言葉は聞いた事があり、なんとなく理解できました。
とりあえず、まさに途上国の福祉はそれに近いというか、ほぼそれのような気がします。
日本も昔は戦後まで(今も?)、そういう要素が強かったのでしょうね。
ただ、こういうケースはここが途上国である以上まま仕方ないのかと思いますが、だからこそ、empowerment的な考えがこれから大切なのでしょうね。
学校で、こういった哲学的なことを学んだ経験はありませんが(というより、それらしき教養科目は毎回最前列で曝睡しており、「聞いた経験が無い」というのが正しい言い方でしょうか)、学校で先生がどんなきれいな事を言っても、やはり右から左となってしまうのが現実かと思います。

我々の職種が学生時代にそういったことを強く感じ取る経験が出来る場があるとすれば、それは「臨床実習」の時であるかと思います。
私は学生時代の臨床実習のときにはじめて「患者さんが先生」という言葉を聞きました。
あのころ、技術的なことでパニック状態であり、かつ夜遅くまでレポートに取り組むことで毎日朦朧とした日々を送っていたのですが、この言葉で一つハタとさせられたことを覚えてます。
「患者さんが先生」について述べて行こうとすると、とてもメールで伝えられるものではありません。

私はこれまで、難病と呼ばれる病気でしかもご高齢の患者さんに接することが多かったためか、いわゆるドキュメントやドラマ、映画でみるようなリハビリをしたことはありません。
私の職業理念は、患者さんに内発的に元気と自信、やすらぎを持ってもらえること。
技術的なことよりもとにかく対話重視でやってきました(技術が下手であることの言い訳でもあるのですが)。
また、そもそも私自身が患者さんたちとお話したかったので、昼間リハビリ室で話しきれない分、夕方、病室巡回をし、お話をして回って来ました。
自分自身、患者さんたちに対して、昼間の顔だけで終わりたくないという気持ちがありましたし、また、昼間の様子だけを見ていたのでは、患者さんの全体像が把握できないことも確かです。
基本的に毎日残業があるのですが、残業は病室巡回後といつも決めてました。
そんなことしているのは、10名のリハビリスタッフの中で私1人でしたが(よって施錠係は私)、そのせいか、私の担当患者さん以外からも、「夕方のご指名」を受けることもありました。
こういうことは正直嬉しかったので、喜んでお付き合いしていましたが、翌日、その患者さんの担当のスタッフにそういうことをしていたということがバレない様にする必要がありましたので、そのたびに患者さんたちにはそのように伝えてました(ちょっと嫌な気分ですが、職場内で人間関係ウマく付き合って行くのには必要なことでした)。
私は患者さんたちから、教えられ、鍛えられて来ました。
まさに生き字引です。
病気や障害、一人一人違いますが、それぞれの患者さんが身を以て私たちに、こういう病態もある、ということを示してくれていたし、人の生き方についても、色々な生き方があることを教えてくれました。
よって、教科書や本を読む必要など私にはありませんでした(勉強や読書が嫌いと言うことの言い訳でもあります)。
色々な人がいましたが、一人一人の患者さんへのご恩は、一生忘れませんし、今も、これからも、対象者から教わると言うのは私の中で常識と言うか、当たり前であり続けると思います。
これは、原因が不明、治らない、治す薬が無い、悪くなるだけ、という患者さんたちとの交流の中から私自身が感じて来たことです。
「患者さんが先生」というのは、別にいつもそう思って仕事しているわけではなく、結果として自分自身を振り返ると、いつもそこには患者さんがいた、患者さんから気付かされた、という積み重ねの上にある結果論と思っています。

「父権主義」と関連させると、、、こういうことはお互いの気持ちの問題ではないかと。
私はいつも対象者とは対等にいたいと思っており、どちらが上でも下でも無く、どちらかが主導権を持つと言う問題でもなく、お互いrespectし合うことが大事だと思ってます。
私は「先生」と呼ばれることが嫌でしたが、相手が誰であれ、そう呼ぶ人がいる以上は、まずはそれなりの責任(治療行為など)を果たすことを考えます。
その代わり私も心の中で相手を先生と呼び、何気ない話の中から、多くを学ばせて頂きました。


医師が(医療関係者が)患者と対等の立場で向かい合おうとする姿勢がよくわかって感服します。
医師が(知識的にも社会的にも人間的も)上の立場で、患者を治療し護っていく。一見すばらしいことのような気がしますが、エンパワーマントの視点からすれば、医師がよかれと思ったことが、一方で患者の力を弱める、それが結局は医師の権威化を招き、「患者が知りたい」と思うことを「知る必要がない。知ってもわからない」につながるのです。

やはり発想の転換、つまり、

『技術的にも人間的にも社会的にもすぐれた医師が、(可哀想な)患者を治療してあげる』

『患者が(サービスを受ける)お客様として、医療サービスを受ける。(「お客様は神様です」つまりお客様の力の方が強い)』

への転換が必要なのです。


一点だけ、コメントさせてただくと、
「どちらかが主導権を持つと言う問題でもなく、お互いrespectし合うことが大事だと思ってます。」

それはそのとおりです。最終的な理想型ではそうでしょう。
しかし、ほっておくと、

医師の方が力が強いのです。

対等な関係を作ろうと思えば、

一生懸命、「患者が上、医師が下」と働きかけなければならないと思っています。


「医師」と「患者」を、
「教師」と「生徒」、
「行政官」と「住民」
「福祉官(あるいは、「医師」「教師」など)」と「障害者」

と置き換えてもそのまま通用します。

父権主義(パターナリズム)とは?

エンパワーメントのエッセンス;父権主義(パターナリズム)


の父権主義(パターナリズム)について、、、、、念のため。

ここで父権主義とは、「父親の持つ権利を尊重すること」の意味ではありません!
(もともとはそういう意味だったのかもしれないが、、)

例によって、ウィキペディアで調べます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

強い立場にあるものが、弱い立場にあるものに対して、後者の利益になるとして、その後者の意志に反してでも、その行動に介入・干渉することをいう。

とある。そして、典型例の一つとして次があげられている。


専門家と素人
専門知識において圧倒的な格差がある専門家と素人のあいだでは、パターナリスティックな介入・干渉が起こりやすい。たとえば、医師(専門家)から見れば、世話を焼かれる立場の患者(素人)は医療に関して無知蒙昧であり、自分で正しい判断を下すことが出来ない。その結果、医療行為に際しては、患者が医師より優位な立場には立てない[10]。そうした状況で患者の自己決定権をどのように確保していくかについては「インフォームド・コンセント」の項を参照(あわせて「尊厳死」の項も参照)。



「医師」を「専門家」と「患者」を「素人」としているが父権主義であるのに対して、「医師」を「サービス提供者」、「患者」を「消費者」とするのがエンパワーメントアプローチです。

つまり、父権主義では「(技術的にも人格的にも優れた社会的的にも強い立場にある)医師が、(技術的にも人格的にも社会的にも弱い)患者を「指導」するのです。医師が患者の健康に(ある程度の)責任を持つという考え方でもあります。「患者」を「障害者」と置き換えるとさらに状況がクリアになります。

それに対して、エンパワーメントアプローチの考え方では、「患者は医療サービスを受けるお客様」です。患者の健康は患者が持つのです。医師はそのための技術サービスを提供するサービス業という考え方です。

関連記事;プロフェッショナルな患者


同じように「教師」が「生徒」を護り指導する、「行政」が「国民」を護り指導する、「村長」が「村民」を護り指導する、それが父権主義、そして、生徒が教師から教育サービスを受ける(教師の選択を生徒が行う)、国民が行政サービスを受ける(国民が行政に対して指導する)、村民が村長からサービスを受ける、そのようなことがエンパワーされた一つの形となります。

ところで、

たとえば、高齢者と介護者との関係はどうなっているのでしょう?
知的障害者と教師の考えはどうなっているのでしょう?


つまり、エンパワーされたとしても、サービスを受ける側の判断能力に制限がある状態で、いかに(父権主義の必要性は認めつつ)消費者としてサービスを自己選択、自己責任を確保していくのか?  
現在の筆者にとって非常に興味ある分野です。


エンパワーメントのエッセンス;父権主義(パターナリズム)

女性グループとエンパワーメント

に関して、京王線さんからのコメントです。


女性のエンパワーメントにはさくらぎちょうさんがブログに書いたものの他に既存の構造(父権主義)からの打破というのがあります。
ポイントはパワーリレーション(力関係)の変化です。
以下は私の修士論文の一つのコーナー。


2.1.1. What is Women's Empowerment?
Development literature tends to refer 'empowerment' as increasing the power of those disadvantaged in prevailing social relations. The concept of empowerment, in this sense, applies to both genders whereas disadvantaged men are almost as powerless as poor women in access to material resources in the public domain, however men, remain privileged within the patriarchal structure (Kabeer, 1999b:12-3). Therefore 'women's empowerment' has a special implication. For activist feminist groups who originally demanded women 's empowerment, the latter meant changes in the processes and structures that reproduce women's subordination and oppression (Young, 1993:158). In order to overcome these structures, they focus on the importance of women 's awareness on unequal gender relations through building confidence, self-reliance, internal-strength (cf. Moser, 1998, Young, 1993, Oxaal and Baden, 1997:1-2, Longwe, 1995, Kabeer, 1999, 2000).



Batliwala (1997) defines women's empowerment as a process of changing existing power relations on material, human and intellectual resources. She sees that power relations must change through redistribution of resources by giving people much more equal access and control over resources. She also sees that it is not enough to give women education, access to the labour market and employment but to change the ideology that constructs the family value, the educational system, the religion as well as the social, economic, legal and political structures that constantly reproduce these power relations which could be gender-biased. However, to change the ideology, she says women must gain confidence to change the low image of themselves and understand their capacities. In order to achieve this, she emphasises the process starting with consciousness raising, mobilising and organising women into groups.



Kabeer (1997, 1999a, 1999b, 2000) defines women' s empowerment as 'a process by which those who have been denied to make strategic life choices [1] acquire such an ability '. She sees that women need to develop critical consciousness in looking at their position. Because for those women who internalised their culturally perceived less-valued social status, would choose to accept subordinated position to men even if they would be given equal material, social [2], human resources [3] (Nussabaum, 1995:61-87). As oppressed people may lack the courage to choose to develop and use their capabilities, women lack the will to do so because they themselves have low self esteem (Kabeer, 1994, Nussbaum, 1995, Sen, 1990). Consequently, women' s empowerment include both individual changes in inner-self and collective action stressing the importance of awareness of women themselves 'to recognise their deprivation and their potential ability, and choose to develop and use their capabilities' (Kabeer, 2000) . Meaning that women should recognise their unjust subordinated position so that they can be agents for changing unequal power relations.



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[1] Choices that are critical for people to live the lives they want. Ex) Choice of livelihood, freedom of movement, whether to marry, who to marry, whether they have children, how many children to have, etc (Kabeer, 2001:19)

[2] Social resources are made up of claims, obligations and expectations which inhere in the relationships, networks, and connections which prevail in different spheres of life and which enable people to improve their situation and life chances beyond what would be possible through their effort alone (Kabeer, 2000:20)

[3] Human resources are knowledge, skill, creativity and imagination ( op.cit)



そのとおり!

と言ってみたものの、実は筆者英語読解能力もアカデミックな論文読解能力も貧弱なので京王線さんの論文をちゃんと理解したわけではありません。


が、最後の『Kabeer (1997, 1999a, 1999b, 2000) defines women' s empowerment as 'a process by which those who have been denied to make strategic life choices [1] acquire such an ability '. She sees that women need to develop critical consciousness in looking at their position. Because for those women who internalised their culturally perceived less-valued social status, would choose to accept subordinated position to men even if they would be given equal material, social [2], human resources [3] (Nussabaum, 1995:61-87). As oppressed people may lack the courage to choose to develop and use their capabilities, women lack the will to do so because they themselves have low self esteem (Kabeer, 1994, Nussbaum, 1995, Sen, 1990). Consequently, women' s empowerment include both individual changes in inner-self and collective action stressing the importance of awareness of women themselves 'to recognise their deprivation and their potential ability, and choose to develop and use their capabilities' (Kabeer, 2000) . Meaning that women should recognise their unjust subordinated position so that they can be agents for changing unequal power relations.』はエンパワーメントの本質です。
それのみならず、

「women」と「men」を、「住民」と「行政官」「貧困住民」と「裕福な住民」あるいは、「患者」と「医者」、「生徒」と「教師」、「非障害者」と「障害者」.....

と置き換えてもこの文章は成立し、それがエンパワーメントアプローチの汎用性をあらわしているともいえると思います。

京王線さん! 能力のない筆者のために、日本語でわかりやすく解説してもらえませんか?

女性グループとエンパワーメント

「エンパワーメント」とは?;辞書でひいてみた

で、日本の一般の辞書でひいてもエンパワーメントの意味がわからないことがわかりました。

では、「エンパワーメント」とは何でしょう?

残念ながら筆者には、エンパワーメントを体系的にきちんと定義して説明できる力はありません。
断片的なエンパワーメント事例をいえるだけで。
ブログにはそのようなエンパワーメントの断片、断面について書いてきました。今後も、そのように書いていくなかで徐々に自分の中で定義を確立していきたいと思っています。


村で、コミュニティの活性化をしようと思えば、どのようなアプローチをするでしょう? 切り口はいろいろ考えられます。職業別のアプローチ、活動別のアプローチ、年齢・性別グループ別のアプローチ、セクター別のアプローチ etc。年齢・性別グループ別では、 女性グループ、青年グループ、学生グループ、シニア(有力者)などなどです。

タイでコムユニティ開発に携わった人であれば、「女性グループ」へのアプローチが一番やりやすいのが常識でしょう?(他の国でもそうかとおも思いますが、残念ながら筆者は他の国での自信ある体験はありません)

生活を、コミュニティを、良くしようとする開発アプローチは、「女性から」がほとんどだと思います。

理由としてはいろいろあるとは思います。物理的に男性は出稼ぎなどで「村にいない」ということもありますし、子供を産んで育てるのは女性です。(「男性も育てろ!」と嫁ハンから怒られそうですが、現実的にはやはり女性が子育ての主役です)し、それだけ家庭の主役であり、コミュニティの主役(有力者という意味ではなく)です。

本能的に母親の子供への関心は高いので、子供を通じて社会との関わり(開発アプローチ)もいろいろ考えられます。

そもそも、女は家でも畑でも、さらには機織りまでして働いて、かつ子供を育てて忙しそうにしているのに、男は昼間から酒を飲んでばくちをしてけんかをしている人が多いのは、わざわざ「調査」をしなくても村にちょっと行けばわかる事実です。

やっぱり、女性からのアプローチをした方が効果がありそうです。


そんなわけで、
・農村女性を対象とした副収入源向上確保プロジェクト
・農村女性(および子供)を対象とした保健衛生向上プロジェクト
・農村女性(および子供)を対象とした栄養改善プロジェクト
・農村女性を対象とした環境改善プロジェクト
などなどがでてくるわけです。

(ちなみに、たとえば高収益作物転換プロジェクト、複合農業転換プロジェクトなどなど、「職業」にフォーカスをあてたプロジェクトでは、男性が中心となりがちです。そのプロジェクトに女性をどのようにからめていくかは議論の余地があります。もちろんジェンダ主流化(ジェンダメインストリーム)の考え方からすればそのようなプロジェクトも「女性がかかわるべき」ですが。


ここでは、この女性へのアプローチをエンパワーメントの視点から考えます。

・農村女性はエンパワーされている人が多い
=非常に厳しい社会経済状況の中でも積極的に生きている人が多い
→その理由としては、子供を産み育てることに生き甲斐・責任(と推測)

・農村男性はエンパワーされていない人が多い
=非常に厳しい社会経済状況の中で(仕事がない、収入がない、生き甲斐がない)なかで、酒・博打(薬)に溺れる

地域や状況により違い(注)はあると思うが、タイの農村でこのような傾向にあることは間違いないと思います。


注;たとえばイスラム圏では、「女性は男性に庇護される立場に【置かれて】いる」のでちょっと感覚が違うようですし、男性は「家庭・家族」を守ることに義務と責任を強く感じており結構頑張っているようです。


だから、女性を対象としたプロジェクトがやりやすいのはエンパワーメントの視点からすれば「当たり前」なのです。だって、すでにある程度エンパワーされているのだから。

だから、手っ取り早く「目に見える成果」をあげようと思えば女性グループを対象としたプロジェクトを行うのが良いことになります。


つまり、エンパワーメントアプローチとは「問題のある社会経済状況をなんとかしようとする」とするのではなく「各個人個人が生き甲斐を持って前向きに生きれるよう各人(グループ)をエンパワーしよう」。
その結果、エンパワーされた個人(グループ)により社会経済状況が徐々に変わってくる。
そのようなアプローチ、、、だと思っています。


・農村女性を対象とした副収入源向上確保プロジェクト
→副収入源(手工芸品・農産物加工etcの技術(製作・販売技術)向上
・農村女性(および子供)を対象とした保健衛生向上プロジェクト
→保健衛生にかかわる知識・技術の向上・普及
・農村女性(および子供)を対象とした栄養改善プロジェクト
→栄養にかかる知識・技術の向上・普及
・農村女性を対象とした環境改善プロジェクト
→環境向上に関する知識・技術の向上・普及

というのは、エンパワーメントされた人に対する活動であるときに有効であって、エンパワーメントされていない人には無意味です。

「『誰々に熱意がない』から技術移転がうまくいかない。」といいますが、『熱意の無い人』に技術を教えようとしていることがそもそも間違いであって、「熱意の無い人に熱意を持ってもらう」ことが、開発援助関係者に必要な活動であって、それがエンパワーメントアプローチなのです。

特に青年海外協力隊員の人たちと話をしていると「『カウンターパートがやる気がない』から仕事がうまくいかない」とのいいわけを聞くことがあります。(筆者も隊員時代によく言っていました;苦笑)

そんなときこそ、エンパワーメントアプローチが必要なのです。

一方で、
「農村女性を対象とした副収入源向上確保プロジェクト」
で、
・エンパワーされた(=やる気がでてきた)
→収入向上の為の活動を行い始める
→多少の困難・失敗があっても(エンパワーされているため)頑張る
→収入向上につながる

という風に、「まずエンパワーあり」がエンパワーメントの美しい姿なのです。

ところが、そんなものは、やはり机の上の美しい姿であって、

・ちょっとやってみたら収入向上した
→頑張ってみようと思った(少しエンパワーされた)
・強固なエンパワーにつながった
→多少の困難・失敗があっても(エンパワーされているため)頑張る
→収入向上につながる

ことだってあるのです。

但し、この場合に注意しなければならないのは、
・強固なエンパワーにつながった
が重要なのです。
そうでなければ、外部(援助関係者)が手とり足取り(お金まで投入して)収入向上が図れても、その後ちょっと困難になると、すぐダメになるということです。
そのような「プロジェクトとしては(報告書としては)成功したけど、だめになったプロジェクトはたくさんあります。その理由はエンパワーされていなかったためであるということがほとんどだと思います。

そういう意味では、

「農村女性を対象とした副収入源向上確保プロジェクト」
であっても、
当面のゴールは「農村の収入向上」であったとしても、
「スーパーゴールは、『対象農村女性がエンパワーされること』」
を常に念頭においての活動が必要だということになります。


話が戻りますが、最初に「女性グループは男性グループに比べてエンパワーされている」と書きましたが、女性グループの中でも貧しい女性(グループ)や虐げられた人(グループ)があります。ある程度うまくいっている裕福なグループを対象にするのではなく、貧しいグループを対象とするアプローチは、エンパワーメントアプローチの本性といえます。貧しいグループがうまくいくのを目のあたりにした他のグループは、「自分たちもやればできる」と思うと思いませんか?

ジェンダ主流化で「すべての開発に女性をいれる」ことを推奨(義務?)されています。

参考; ジェンダは儲かる?

が、エンパワーメントアプローチでは、「女性が弱者だから=厳しい社会経済状況におかれている」から女性をアプローチする対象と考えます。一番厳しい状況におかれている人をエンパワーすることにより他の人もエンパワーしようとする考え方です。
だから、ジェンダーメインストリームで女性にアプローチする前提は「女性が弱者」であることがで「女性が強い社会」では「男性にアプローチ」しなきゃならないことになります。
この考え方に私がいたったのは、障害者メインストリームがきっかけになっています。障害者のおかれている困難な社会経済状況を解決するために、医療、教育、保健、福祉アプローチを行うのではなく、単純に一番弱い人=障害者にアプローチすることが重要であるというアプローチです。
そして、それによりエンパワーされた障害者自身が、医療、教育、保健、福祉サービスの向上に積極的に関与してくるのです。
それが本当の「参加型」ではないでしょうか?
(世の中には、形だけの「参加型」アプローチが多いような気がします。)

ジェンダメインストリームでも、その社会において「女性が弱者」だからエンパワーし、それにより真の参加型の社会変革活動(女性の社会的、経済的地位向上)につながるのではと思います。


ああ!、結局、意味不明な文章になってしまいました。