自分のルーツは、実はメーカでのエンジニアです。
そのため、現在国際協力をメーカでの経験とダブらせてしまいます。
自分がかって在籍した会社では、「事業責任は技術にあり」と言われ、技術者は製品設計のみならず事業全体について責任を負うべきと教育されました。
(営業部門では、「事業責任は営業にあり」と言われていたかも知れません。笑)
製品は、ほとんどはディーラ経由で販売店でエンドユーザに販売します。量販店(ヨドバシカメラなど)には、直接商品卸しますが。
いずれにしろ、メーカはディーラ経由あるいは販売店経由でエンドユーザと向き合っています。つまり、メーカの営業・販促活動は主にディーラと向き合っているのです。
つまり、ディーラ(あるいは販売店)が自社の商品をより多く売ってもらうようにするのが、メーカの営業の仕事です。
メーカにとって、競争力のある商品というのは、「ディーラがより多く売ってくれる商品(売り方)」です。そういう仕事をいつもメーカはしているのです。
でも、あらためて考えると、本来は、「エンドユーザがより魅力を感じて買う商品(売り方)」が重要なのではないでしょうか。
「ディーラがより多く売ってくれる商品(および売り方)」と「エンドユーザがより魅力を感じて買う商品(および売り方)」
一見同じように聞こえるかも知れませんが、商品開発上大きな違いがあります。
そんなとき、メーカの技術者は原点にもどって、「エンドユーザに聞け」「顧客(=エンドユーザ至上主義)」などとエンドユーザの声に耳を傾けて商品開発・販売戦略にフィードバックするのです。
すいません、ごくごく簡単ですが、特殊なメーカの事情を書いたのは、国際協力の現状とダブって感じることがあるからです。
つまり、デーラは各国政府です。、エンドユーザは住民などの裨益者です。デーラなしではメーカが成り立たないように、各国政府無しに各国で活動をできません。けれど、今までの多くのプロジェクトは、「ディーラ経由で販売していた(=各区政府経由で裨益者にいきわたる活動をしていた)」「デーラ経由でエンドユーザの声を聞いていた(=各国政府経由で、裨益者の声を聞いていた)」といえると思います。
ただし、「本当にディーラの言うことが正しいのか。ディーラがエンドユーザのニーズを反映しているのか?」を常に検証し、直接エンドユーザとコミュニケーションすることが必要ではないかと思うのです。
(「エンドユーザの声」と「ディーラがいうエンドユーザの声」は相当違います)
各国政府を軽視しようとしているわけでありません。でも、「各国政府のいうニーズ」と「裨益者のいうニーズ」が相当食い違う可能性があるのを前提にして、プロジェクトデザインをすべきだと思います。
なお、一般的にいえば開発途上国の公務員の業務へのコミットメントは非常に低いと思います。自分の利益・自分たちの利益が超最優先で業務をしているケースは少なくありません。まあ、誰でも多少はあると思うのですが、自分の経験上、NGOや一般企業社員と比べると公務員の業務へのコミットメントは低いと感じます。
(一般企業勤務のタイ人の友人、あるいは一般企業から公務員に転身したタイ人の友人の多くが同意見です)
「自分あるいは自分たちの利益の最優先」と「裨益者利益の最優先(=)」で議論をしてかみ合うはずがありません。
であれば、プロジェクトデザイン上、
「『公務員が』、プロジェクト目標・エンパワーメント・人間の安全保障の考え方を十分理解して、プロジェクトにとりこむ」
ということに多大な期待をせずに、
「『公務員が』、プロジェクト目標・エンパワーメント・人間の安全保障の考え方を多少理解した程度でも構わない」
のアサンプションで、プロジェクト目標を達成できるようなプロジェクトデザインの方がやりやすいのではないかと思います。
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先ほどの記事について、誤解を招きそうなので補足しています。
政府開発援助(ODA)に関する不正や汚職、失敗を認めている発言ではまったくありません。むしろ、それらは決して許されないと思います。
しかし、ODAの評価をするうえで、「悪いこと・失敗がなされているかどうか」がその判断基準であれば、関係者が「悪いことさえをしなければよい」「失敗をしないよう無難に行なう」となり、よいODAにならない風潮がでてくるのでははないかとの危惧を感じるということです。
民間会社のどのような事業であれ「絶対に失敗はありえない」なんてことはありません。必要なのは、「失敗を次に生かす」ことです。
また、「失敗をしないことを目指す」ということは常識的には「ローリスク、ローリタン」ということです(ローリスク、ハイリターンが理想ですが、そうは普通いかないでしょう)。場合によっては、戦略的にハイリスク、ハイリターンを狙う政府開発援助プロジェクトがあってもいいのではないでしょうか? でも、「失敗をなくする」という発想では無理ですよね。
政府開発援助への評価は、「失敗はしていないか」ではなく、「どれだけ効率的に被援助者に裨益したのか」で行なって欲しいと、願います。

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日本の政府開発援助(ODA)は、日本政府が開発途上国を対象に開発援助を行なう仕組みです。
それがゆえに、「税金の無駄使い」的論調で批判されることが多くあります。
今朝の読売新聞でも、ラオス造林センターで「甘い需要予測を元にセンターが建設され利用率が低い上に運営に支障が生じている」的な論考でODA非難をしていました。
私も、公金を1円たりとも無駄使いしてもらっては嫌ですし、開発途上国の住民、ひいてはすべての人類への利益の一助になって欲しいと思います。
この新聞記事の内容についてコメントする十分な情報を持ちませんが、全体の論調を見ると、結構悪意に満ちた論調に思えます。「悪」を悪意に満ちて書くならまだしも(「悪」であっても、新聞は冷静に書いてほしいとは思いますが)、何が「悪」なのか明確な説明責任を果たしていない新聞記事のように思えます。
「悪」をあばくのは人間の本能に照らし合わせても楽しいことですし、そもそも一般の国民にとって「お上」のやることにけちをつけることで無意識のうちに自分が偉くなった痛快さがありますよね。小泉元首相の外交政策にビールを飲みながら非難するのはできても、実際にわれわれが外交をできる能力がわけではありませんし。
問題と感じるのは、そういった国民の痛感さ、受けを求めて、新聞が悪探しのみを一生懸命することです。
本当にわれわれが求めているのは、正しい情報です。
ODAが過去多くの成果をあげてきたのは事実だと思います。
でも、多くの課題もあったのは事実です。課題があった(ある)ことが問題だというわけではありません。
むしろ、文化・習慣・社会経済状況の異なるなかで、かつ対象国内の思惑の不一致があるなかで、大変ことも事実です。
ようは、政府開発援助が、どのような方針で対処されようとしている、その方針・実施ののどこに課題があり、どのようにすればいいのか。
そのような視点にたったODA批判が建設的なのになあ。

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