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要請主義 その3

人間の安全保障は、「国の保証する安全保障」ではなく「一人一人の人間の注目した安全保障」です。
要請主義とは、「国が国民の安全保障をする」のが前提。
必ずしも国家が国民の生活の安全を保障するとは限らないという人間の安全保障の考え方は。要請主義とは相容れないのではないのでしょうか。

当然、グローバル化により、環境・疾病・人権などのいわゆるグローバルイッシューも国家からの要請ともなじまない性格があるのは当然でしょう。


多分、政府の関係者は、いろいろな法律・規定・制限の中で最も良い方法をとるよう努力しているのだと思います。それらの人を非難するのが目的ではなく、個人的なブログであるこの場で、いろいろなしがらみは全く考えずに、そもそものあるべき論を書いているだけですので、念のため。
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要請主義 その2

http://okui.blog77.fc2.com/blog-entry-119.html

前回書いた「要請主義 その1」は、当たり前すぎることではないかと思います。
が、今回のその2は、ちょっと変な考えかも?

最近の世の中は、「成果主義」が重要視されています。海外援助の世界でも、「成果」と「その成果をあげるための投入(人・物・金)」をプロジェクト開始前に明確にすることが求められます。

それ自体は当たり前のことです。以前は、「いいことは何でもやりましょう。(→ 目的とする成果に対していいことをやるべき)「結果は重要ではない、プロセスなのだ。(→結果もプロセスも両方大切)」などがまかり通ったこともあると思うのですが。

ところが、その国の政府が重要案件と認識し要請するということは、
『その政府の積極的実施・協力あるいはその政府の十分な投入』
が前提条件として、プロジェクトの求められる成果とそれに必要な投入が決まるということになりがちです。

繰り返すと、『その政府の積極的実施・協力あるいはその政府の十分な投入』が十分でないということは、前提条件が狂うことになるのです。
「狂う可能性が高い前提条件のプロジェクト」は、一般的にはあんまり良くないプロジェクトデザインですよね。 でも、多かれ少なかれそうなっていませんか?

ここで、自分の提案は、『その政府の積極的実施・協力あるいはその政府の十分な投入』を「前提条件」ではなく、「成果」としてプロジェクトデザインすべきではないかということです。

つまり、「プロジェクトを実施した『結果』、その国の政府の認識が高まった」ということであれば、プロジェクトの成功とするのです。

具体的例をあげると、例えば緑化プロジェクトで、政府がトップダウンの植林・育林計画をしているとします。しかし、現場では住民のエンパワーメントによる社会林業のニーズがある。その場合、従来の要請主義では、「政府のトップダウンが基本」「そして、それになんとか住民のエンパワーーメントも考慮した活動とする」ようなプロジェクトになります。 自分の提案は、「住民のエンパワーメントが基本」「そして、プロジェクトの実施を通じて、その国の政府にトップダウンではなく、エンパワーメントの重要性を効果を教育していく」というようなアプローチになります。

面白くないですか? 要請主義を見直すととてもわくわくしませんか?

要請主義 その1

日本政府の海外援助の基本方針は、「要請主義」です。
これは、相手「国」から援助の要請があって、はじめて援助を行う考え方です。実際は、相手国が「何を援助してもらいたいのか(何を援助してもらえるのか)の整理能力に劣る場合、「要請」を行うことを「支援」する場合もありますが、いずれにしろ最終的に相手国政府からの要請を持って援助を行う限り、ここでは「要請主義」と呼びます。

要請主義とは、「押しつけではなく、相手国のニーズに沿った援助」を行うために必要だと思います。

多分、国道や空港を整備するとか、産業振興の仕組みを作るとか、そんな国家レベルの援助にはまさに要請主義の原則があるべきでしょう。

要請主義を否定するつもりはありません。
でも、ここで言いたいのは要請主義に弊害があるということを関係する人は共通認識しておきたい、ということです。

場合によっては、「要請主義」を問題が会った場合の「いいわけ」として使うこともあります。 「相手国から要請があったので、最終的な結果責任は相手国にある」などの言い訳です。

逆にいえば、「要請主義からの脱却」は「援助する側が結果責任まで負う」ことを意味します。言うは易しですが、容易なことではありません。でも、「脱要請主義」が必要なのではないかと思います。

(日本政府の方針では、「要請主義」を掲げながら、すでに戦略的援助(≒脱要請主義)を掲げています。)


まず、要請は誰から出されるのでしょうか?

少なくとも政府開発援助(ODA)であれば、その国の政府からです。
もちろん国際的に認知された民主的に選ばれた国の代表が、その国のニーズを把握している『はず』です。

でも、沖縄の基地問題を出すまでもなく、国の利益と地元の利益が相反することは多くあるののです。国・地方の構図だけでなく、多様なニーズを国が取りまとめることができる、というのは理想であっても現実的ではないと思います。

国からの要請が、必ずしも裨益者のニーズを反映しているとは限らないということです。















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