マイクロクレジットその4;エンパワーメント

http://okui.blog77.fc2.com/blog-entry-130.html
の続きです。

繰り返しになるかも知れませんが、ここでの主旨はグラミン銀行を否定したり疑問を持つ物ではありません。
とってもすごい意義あること、エポックメーキングであったと思います。(だからこそのノーベル平和賞なのでしょうね)

ここで、疑問を何回かにわけて書いているのは、本来の主旨(農村・貧困者のエンパワーメント)からはずれたマイクロクレジット「のようなもの」に対する疑問です。言い換えれば、目的論ではなく手法論に対する疑問です。

(1)開発を行おうとするODA機関、NGO機関が、「マイクロクレジットを行う」ことを決定する。(その目的と手法、ニーズ分析に十分な検討をしないまま)
(2)マイクロクレジットの成功の可否は、貸し出し量と返済率である
(3)実施にあたっては、住民エンパワーメントを配慮しなければならない

のような、ことになってしまわないかの懐疑です。
何をするにもシードマネーが必要→だから、マイクロクレジットとの単純な発想でやるには、あまりにもリスクが大きいのではないでしょうか?


自分個人としては、「利率が高いかダメ」とか「儲けるからダメ」とかそんなことは考えていません。(むしろ、サスティナビリティのためには、どんどん儲けて欲しいと思います)
「マイクロクレジット」ありきが嫌なのです。

(1)住民(貧困家庭・女性)のエンパワーメントが目的であり、
(2)その為の手段の1つががマイクロクレジットである。
(3)その指標の1つが返済率である。

であれば良いのですが。
(それでも、マイクロクレジットは劇薬となりかねないので十分注意は必要ですが)

マイクロクレジットその3;うまくいかないとき困る人

融資が返却できない場合、あるいは融資金額が伸びない場合に一番困るのは誰か?


マイクロクレジット実施機関でしょうか?
あるいは、その資金提供者でしょうか?

でも、うまくいかなくても担当者がクビになりませんし、責任者の家庭が崩壊することもありません。

一番困るのは、融資を受けた人やその家族です。

まず、融資を受ける人の視点で検討すべきです。

少し考えると当たり前のことなのですが。

お金を貸す側、行政側、支援側は、「する側」の論理で考えてしまいがちなことへの危惧です。

タイの農村で、金を貸す側の倫理で貸した結果、甘い計画を援助する側から持ちかけられ融資を受け、地獄を見る人。そういった人が多くいるはずです。


・病気・怪我・災害その他の状況で危機的な状況に陥っている人への緊急的融資
・地域で社会的に虐げられた地位にある人をエンパワーするために必要な最低限の資金の融資
・地域の生活・社会の向上を行うために使用される、住民自身がリスクも含めて十分な検討されたプロジェクトへの融資

へのマイクロクレジットの活用は必要だと思います。むしろ、無ければならないと思います。
但し、安易なマイクロクレジットへの危惧からあえて書いてみました。





マイクロクレジットその2;良薬?劇薬?毒薬?

日本でも、消費者金融会社によって「ピンチを切り抜けた人は大勢いるのでしょうが」その判明、消費者金融会社から借金をしてしまったがために破綻した個人・家族・会社は沢山あるのだと思います。

開発途上国においてはもっと深刻です。自己破産などという制度もありません。借金を返すために、犯罪にはしる、娘を売り飛ばすなどはごくごく普通にあるはずです。

子供へ奨学金をおくると親の酒代に使われる。緊急援助融資を行うと麻薬購入代金に充てられる、、、そんな話は村に行くと、いくらでも聞きます。

新規作物を作るため、小規模灌漑施設を作るため、設備投資をするため、、、、融資をうけて、そして失敗すると本人だけでなく家族、親戚まで破綻するのです。


借金は借金。 借金は怖い。

マイクロクレジットであろうがなかろうが、いやむしろ弱者が借りるからこそ余計に借金は危ないのです。

また、マイクロクレジットを実施する団体は、「お金を調達して、融資して、利子をつけて回収する」という銀行なのです。2ステップローンであれ、NGOであれ、住民の信用事業であれ、実施団体のいかんにかかわらず、マイクロクレジットの本質は「資金を貸して」「利子をつけて返してもらうことによって成り立つ」ことを必要としています。

マイクロクレジットが成功しているかどうかは、融資側にとって、
「融資額」「回収率」は成功かどうかの重要な判断基準の一部です。

本来のマイクロクレジットの目的は、「貧困削減」「住民のパワーメント」「生活の向上」などのはずですが。

下記は、友人が送ってくれたバングラディッシュの状況の概要です。

マイクロクレジットは今やバングラのNGOのビッグビジネスになっており、これをメイン事業にしているNGOも多いようですが、「年利15%前後、期間1年、NGOにもよりますが利子天引き融資、翌週からの返済」という仕組みは「銀行から低利で融資を受け、小口・高利の貸付を行う消費者金融会社」とダブって見えました。
NGO独自融資(ODA関係のマイクロクレジットを扱い、数年でかなりの利ざやを稼ぎ出して、ローン事業を拡大しているNGOが多いそうです)は不動産や婚姻、小規模製造などに向けられているようで、中には携帯電話ローンもあるそうです。婚姻や携帯電話などは生産活動ではなく、消費だと思うのですが・・・。
もちろん、多くは必要に迫られて、有効に使われているでしょうが、「融資があるから使う、そして返済に追われる(借りた翌週からの分割返済ですが、利息は「融資額x15%÷週」で計算されるため実質金利は30%程度になる)」という構図もあるようです。また、無担保と言いながら、回収を担保するため、本当に貧しい者への貸し渋りは相当あるようですし、天候や相場に左右され易い「農業生産事業」への融資はODAのひも付きでもない限りは殆ど行われていないとのことでした。

担保がなく融資も受けられない貧しい人達へのマイクロクレジット(無担保小額融資)でバングラでも多くの人々が恩恵を受けてきたと思いますし、今や貧困削減の有効なツールとして世界中に広まっている訳で、今回のノーベル平和賞はそれが評価されてのことだと思います。
が・・・「今のバングラにおけるマイクロクレジット事業は功罪合い半ばする」というのが僕の印象でした。



再度繰り返しますが、マイクロクレジットを否定している訳ではありません。うまく使わないと、「毒薬」になってしまう恐れがあるということを言っているのです。
(続く)

マイクロクレジットその1; 消費者金融はマイクロクレジット?

ノーベル平和賞で、マイクロクレジットの実践をしてきたユヌス教授が選ばれました。
ユヌス教授やマイクロクレジット、そしてその実施母体であるバングラディッシュのグラミン銀行に関しては、多くの人が調査・研究をしているので、ちょっとググッればいろいろな情報がわかります。http://allabout.co.jp/family/volunteer/closeup/CU20061016A/index.htm にはとりあえず簡単に纏まっています。

マイクロクレジットが評価され注目があたるのは、個人的にはとても嬉しいことなのですが、一方で、マイクロクレジットは非常に危険なツールであることを関係者は十分知っておく必要があると思います。特に日本のマスコミの報道を見てみると、「非常に素晴らしい」との一方的なものに見えるので、とても危惧を感じます。

マイクロクレジットとは、日本語では一般に「無担保少額融資」などと訳されています。が、エンパワーメントの日本語訳の1つ「力をつける」を知ってもエンパワーメントが全く判らないのと同様に、「無担保少額融資」では全く意味がわからないでしょう。「無担保である、少額である融資」はマイクロクレジットの要件の1つですが、それはマイクロクレジットの本質ではありません。 さもなければ、アイフルや武富士など消費者金融会社はマイクロクレジットを実施する会社ということになるでしょう。

話を変えますが、タイで一般消費者が融資を受ける上限金利は年利20%だそうです。(注;このデータは聞き取りであり、数値はこの文の主旨に直接関係ないので、法律・規定等を調査して裏をとったわけではありません)
タイの物価上昇率が、データにより異なりますが、数パーセントですので、そんな高利とはいえないと思います。

では、この金利を上限とした金利で、一般の人は融資を受けているのでしょうか?
タイの現場で国際協力活動をした人は、即座に「No」と応えるでしょう。

自分は、現場に出ているわけではないので、間接的な情報となってしまいますが、(年利ではなく)『月利』数パーセントから20%にもなることもあるそうです。月利20%ということは年利換算1000%近くになるということです。
ちなみに、「『そのような違法金利を返したくない』とお上に訴えればいいのではないか?」と、とあるコミュニティ開発の専門のタイ人公務員に尋ねると、「そんなことをしたら銃で撃たれるだろう」と言っていました。

タイでは、「小規模地域経済」「足を知る経済」などのスローガンに都市型消費社会に毒されない自立した地域作りが推進されています。但し、お金は必要です。病気・怪我などの危機。農業や生活の資本金。子女の教育などの投資(?)など、いくらでもお金が必要となる機会があります。そんなとき、年利1000%なんて金利の借金をしたら、たちまち破綻するに決まっています。低利で安心できる融資システムが存在することは、人間の安全保障に必要な要素であるのは間違いないでしょう。
(続く)