Pray for Japan 2 ;107815バーツ

タイ人の東日本大地震 
Pray for Japan
でタイ人の日本支援の盛り上がりを書きました。

その後も、タイ人の支援はまだまだ続きます。
国民的盛り上がりになっています。


タイ人が、私に義援金を持ってくるので、最初は他の機関に寄付するよう、受け取りを断っていたのですが、
あまりにも大勢のタイ人がお金を持ってくるので、小額(原則1人100バーツ以下)に限り義援金の取次ぎをはじめました。
そのお金が、今日現在で、なんと107815バーツになりました。 ← まだまだ増えそう!

なんで、こんなに集まるのか? 私もわかりません!




各種イベントも数多く行われています。

自分たちのできることで、祈り、思い、行動する、、、、



そんな大勢のタイ人がいることを、もっと日本人に知ってもらえたらいいなあと思います。





Thai for Japan ;タイ人が日本人にできること


バード・トンチャイが呼びかけ、DJを行うチャリティイベントです。
これは、そのテーマ曲です。トンチャイはどこまでもクサク、どこまでもイイ奴だと改めて思いました。
大勢の優しい・思いやりのあるタイ人に毎日接しているためもあってか、この曲を聴いて涙が出そうになります。
(「こういう曲があるよ」と教えてくれるのもやっぱりタイ人です)

多くのタイ人から、「ピー トンチャイ(トンチャイ兄さん)と慕われているのがわかります)
このイベントは、3月23日から4月8日まで、
アソークのGrammy本社(GMM Grammy Place)で毎日12:00-14:00開催されます。




Run for Japan ;日本のために走ろう!

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3月27日(日)エンポリアム前を出発です。 9kmコースは6:00出発、4kmコースは6:20出発です。
当日申し込みOKですので、今からでも間に合います。




Pray for Japan Charity Concert
その1;
3月31日(木)11:00~12:00 シーナカリン大学新講堂(スクムビット ソイ23 )
その2;
3月31日(木)19:00~20:30 証券取引所3階(地下鉄MRTA シリキット国際会議場駅)
その3;

4月5日(火)18:30~19:30 シャングリラホテル・ボールルーム

この他にも多くのチャリーティコンサートが行われているようです。
音楽家の皆さんやそれを支える皆さんにも本当に感謝です。

ちなみに、このような情報はfecebookが一番早くかつ大量に飛び交っています。
地震の情報もfacebookが一番はやかったし、、、、



Fighto Japan ;ファイトォ日本!
logo.png

TheMallグループが主催してのイベント。Fightではなく、Fightoなのは、多分日本人の発音(最後に母音をはっきりさせる)からきているのだと思う。
↓ ここをクリックするたびに10バーツをTheMallグループから寄付されるようです。
http://www.contentnow.mobi/

#個人的には、「Ganbare Nippon」や「Fighto Japan]よりも「Pray for Japan」、「Run for Japan」「Sing for Japan]などの方が共感を覚えます。被災している人に、これ以上頑張れって!、、、言えない。
[ 2011/03/26 15:16 ] その他:その他 | TB(0) | CM(1)

イスラム教徒の村の謎

東北・関東大震災では、あまりの被害の大きさに呆然として、、、
仕事の能率もあまりあがりません!

(仕事の能率が悪いのは、震災と関係なかったかもしれない)


なお多大な困難に直面している被災者には心からお見舞いを申し上げたいし、危険な過酷な環境で支援にあたっている人には感謝と敬意を払っています。

タイに住んでいて、今回「良かった」と思うのは、
多くのタイ人からお悔やみ、お見舞いや優しいことばをかけられ、
祈ってもらえ、さらに多くの義援金を寄付してもらえていることです。

タイ人の優しさ、暖かさにふれ、タイは本当に「豊かな国」なんだと再認識しました。

チャリティコンサート、チャリティマラソンなどもそうですし、
「3万円募金した」「2万円募金した」との話をタイ人から聞くと、
「なぜそんなに大きな金額を日本のために募金するのか?」追及したくなります。

(逆に、自分が他の国のためにそんなに募金するだろうか?)

日雇い労働者など弱い立場の人が、

「寄付しといたから」と言っているのを聞くと、

「あなた、ちゃんと貯金しとき!」

と言いたくなります。

なぜ、タイ人がここまで日本支援に盛り上がっているのか、不思議ですらあります。

こんなすばらしいタイと関われていることに幸せを感じるこのごろです。




で、気持ちを無理矢理切り替えて、

今回は、このブログの一番の原点に戻った記事を書こうと思います。


そう、「このブログの想定する読者」の一番上に書いている

「外国人観光客のいない穴場、マイナーな場所、日本人のいないレストランなどに興味のある人」

です。



今までも、
廃墟萌え
実にレトロなノンボンデン市場
巨大木造精米工場(100年市場)
タイ最古の映画館の内部

など、絶対にガイドブックには載っていない穴場! 

というよりは、 変わり者だけが興味を示す! 

と言う場所を紹介してきました。


今回も、このブログらしく、

思いっきりマイナーに攻めます。


今回紹介する場所は、バンコクから南西に120kmの海沿いの村です。
シャム湾沿いで、漁業や塩田で生計を立てている村です。



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小さな漁船が海に近い川沿い並んでいる。


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塩田と塩を保管する塩小屋です。


で、この付近には実は、イスラム教徒(ムスリム)の村が、仏教徒のタイ人の村に混じって点在します。



タイは、「仏教国」と言われますが、実はイスラム教徒は結構多く、人口の5%ほどをしめます。
南部だけでは、なくバンコクを中心にタイ中部には結構イスラム教徒の村が多いのです。

参考;バンコクの細道;其の壱

普段私がつきあうタイ人は殆どが仏教徒。
そしてイスラム教徒への偏見や差別的発言をそういう人から聞くことが多いのです。

『鶴瓶の家族に乾杯』的タイ旅行 をあちこちで、するのですが、「このあたりにイスラム教徒の村がある?」と仏教徒に聞くと、あまり好い顔をしない。



#でも、実は日本人の方がイスラム教徒への偏見が強いかもしれない。
 パキスタン人は、人が良い人が多く、私にとって住みたい国の1つですが、
 パキスタンといえば「みんなイスラム過激派」と思っている日本人は多い気がする。
 (以前の私がそうでした)


でも、逆にタイのイスラム教徒の村に行くと、差別的な発言を聞くことはまずない。
「人類みな兄弟」的なアットホームなのがイスラムの村です。


で、今回紹介するのは、海沿いにある漁業の村ペチャブリ県(Petchaburi;เพชรบุรี)タンボン バンクンサイ(Baan Khunsai;บางขุนไทร) バンケーク村(BaanKaek;บ้านแขก)です。

基本的には貧しい漁村なのですが、なんと家々がタイ様式なのです。

繰り返します。 タイ様式です。  

ここはイスラム教徒の村なのですよ。



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庶民的なコミュニティに隣接してモスクが見えます。




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家々がこんな風にタイ様式なのです。屋根の形も独特です。
古いタイ様式の家が、こんなにあのるって、実はタイであまり見かけません。
(チーク材でできており、修理にもお金がかかるようです)


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タイ様式の家に住むお婆さん。魚の仕分けをしていました。


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チャリンコで元気に走るイスラム教徒の子供たち。


イスラム教とタイ様式の不思議なミスマッチ
のコミュニティをぶらぶらする、とても楽しい村です。



#推測だが、イスラム教徒は差別や偏見の中で生きていくために、外形をタイの文化習慣にあわせたのではないかと思っている。家の形をタイ様式にし、タイに同化しているようにみせかけて、実はしぶとくイスラム教の文化習慣を守ってきたのだと思う。(さくらぎちょう説です。信じないように!)


その仮説を裏付ける写真のがこちらです。

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これが何に見えますか?
実は、この近くのターレン(Tharaen;ท่าแร้ง)というタンボンのイスラム教徒の村にあったモスクです。
どことなくタイ寺院風ではないですか?
特に左側の鐘楼に注目してください。完全にタイにある中国の影響をうえた鐘楼です。



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これが、そのモスクの建て替えられた今の姿です。
場所が若干変わっていますが、右側に見える鐘楼だけは残されました。

やはり、モスクも外形を目立たないようにして建てられれたのだと思います。




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モスクの内部です。

#内部に入るときは必ず断ってから入ってください。
 モスクによっては、異教徒が内部に入るのを好まない場所もあります。


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タイ様式の屋根の向こうに見えるモスクです。



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村の長老と学校のイスラム学校の先生です。

手前にある本はアラビア語で書かれたコーランです。
教師はもちろん、この長老も子供のころからイスラム学校で学んだためアラビア語が読めます。

#アラビア語が読めないイスラム教徒もタイには多いのだが、、、





行き方;バンコクから車で約2時間


ペッブリ地図_R
バンコクの西南約120km  ペッブリ県の海添いです。


ペッブリ地図拡大_R
こちらが、拡大図です。

Pray for Japan

東日本大震災発生からまる5日たちました。

想像を絶する被害、多くの被災者の困難な状況を思うと言葉も出ません。

福島の原子力発電所の事故も事態は悪化の一方です。
もう、最悪も想定しなければならないのかとも思ってしまいます。


この事態にタイにいて、いったい何ができるのか、とても悩ましい日々が続いています。
表面上は、一応仕事をしているのですが、どうも気合いがはいりません。悶々としている毎日です。


その一方で心がやすらぐのは、タイ人の暖かさ、優しさです。

本当に多くのタイ人から暖かい励ましの言葉やお見舞いの言葉をかけられています。
いろいろな機関を通じて多くの支援金や支援物資が集められているようです。


私の手元だけでも、すでに2万バーツ以上のお金がタイ人から直接手渡されて、預かっています。
(基本的にはお金は預からないようにしているのですが、「お前が一番良いと思うように使ってくれ」と言われて一旦預かっています)

昨日の会議でも参加者全員で亡くなられた方への黙祷がささげられました。


こんなにタイ人が日本の事を日本人のことを思っているなんて、思いもしなかった。



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今日出張から帰ってきたら、うちの事務所に、こんな紙と折り鶴が貼られていました。



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このようなロゴが、多くのタイ人のSNSやブログに貼られています。



遠くにいて何もできない。
そんなときこそ、特に祈るってことは大切なことだと思います。
祈ることで、日本のこと、被災者のこと、他の人のこと、そして自分のことを見つめることができます。


タイ人と一緒に祈る日が続きそうです。
[ 2011/03/16 19:57 ] その他:その他 | TB(0) | CM(0)

タイ人の東日本大地震 

日本時間14時46分(タイ時間12時46分)東日本大地震が発生しました。

あまりにも大きな想像を絶する自然の驚異に、最初は実感がわかず、一瞬映画を見ているかのような錯覚にも陥りました。
恐怖を味わい、家族や知人を失い、町や家を失った多くの人のことを思うとなんとも言えない気持ちです。
被災された方々には心からのお見舞いを申し上げます。

また、福島原発の事故にはとてつもない不安を感じつつ、現場で(身の危険もおかして)必死で対応しているであろう人達のことを思うと感謝の気持ちでいっぱいです。




多くの避難できていない人が津波に飲み込まれていきました。
津波の当初は撮影している付近に避難しているであろう人の「驚きの声」が聞こえますが、
後半になるともう何も聞こえません。みな黙りこんでしまったのでしょう。

(避難を呼びかけているのであろう)消防車も津波にのみ込まれてしましたました。
今も危険を顧みずに救助や支援に携わっている多くの人達には感謝と尊敬の思いでいっぱいです。



この地震のことを知ったときには私は外出中で車の中でした。

タイ時間2時過ぎ(日本時間4時すぎ)に東京の知人から
「大きな揺れでしたが大丈夫です」とメールが来たのが私にとっての第一報でした。


すぐ日本に電話をするが東京には全然つながらない。
大阪にもつながりにくいが、大阪は何回かに1回はつながりました。

電話回線がパンクしているのだろうと判断し、それ以上は日本への電話は止めました。

#でも、東京でもインターネットでは結構普通に使えるようで、インターネット経由では電子メール、FacebookやTwitterからリアルタイムに状況がはいってきました。


タイでのテレビでの映像での第一報はタイ時間16時頃だったようで、その映像を見て何人かのタイ人から電話がかかってきました。

「東京が大変だぞ! 東京が津波で流された!」


そのタイで放送された映像は、「お台場の火事の様子」と「津波が車をどんどん押し流されていく(多分)宮古の映像」を続けて放送したみたい。
多くのタイ人は、そのため東京を大津波が襲ったと当初そう勘違いしたようです。


夕方5時ころには、アピシット首相が、

「タイとしても最大限の支援をする」
との発表をしたようです。
(しかし、「具体的には月曜日の閣議で決定する!」って遅いじゃないか!! ってつっこみ )

その後、タイ政府として先行隊の派遣や捜索犬の派遣、緊急支援金などが決定しました。


その後多くのタイ人から電話・SMS・メール・Facebookなどを通じてお見舞いなどの連絡がありました。


テレビやラジオでも大きなニュースとなっています。

「日本は今までタイに大きな支援をしてくれた!
今こそ、タイは日本に支援をしよう」

的な声が多くはいってきます。

「インド洋大津波では日本はタイに緊急援助してくれた恩を忘れるな!」

とか。 (でも、インド洋大津波のときに被災した多くの日本人がタイ人に助けられたんですけど、、、、)


「日本へ支援金を送ろう!」との呼びかけも多くのタイ人のなかから聞こえます。


タイ人の優しさに、うるうる、ときそうです。


#「日本が沈没しても大丈夫! お前は一生タイにいてもよいから!」
などと、とんでもないタイ人もいるが! (一応好意で言っているようです)


なお、3月13日時点でタイ人の犠牲者は報告されていないようです。


ところで、福島原子力発電所のニュースはタイでも第一級のニュースでした。

12日の水素爆発は日本のメディアが慎重な発表に終始しているなか、

「原子力発電所で爆発」とのセンセーショナルな報道がなされたり、
(千葉の石油精製工場の爆発映像を原子力発電所の爆発と勘違いしているタイ人もいました)

13日夕方現在、日本のメディアを見る限り、「(放射能漏れはあるものの)コントロール可能」との文脈でのニュースとなっていますが、タイでは、「メルトダウンの恐怖がある」的なスタンスで放映されています。





この今現在、多くの関係者が危険や疲労と背中合わせで救援作業をされていると思います。

インド洋の大津波
で書きましたが、インド洋大地震のときにボランティアで少し支援のお手伝いをしました。
当初は情報収集を、その後日本の緊急援助隊の受け入れ準備などをしましたが、
その際の緊急援助隊の方々には本当に頭がさがりました。
東京消防庁や警察庁のレスキュー隊の方々が中心でしたが、東京からバンコクの空港を経て、プーケット空港に着いたのは夜。
宿泊場所について機材のチェック。解散になったのは朝1時で、その後仮眠したのち朝3時に集合し現場に向かいました。 宿泊場所もやっと確保したのはボロいホテル、食料もビスケットのようなものしか確保できなかったのですが、不満を言う人は全くなく黙々と作業をされていました。

その際に、私も一時的に緊急援助隊の支援員となって仕事をしたのですが、その際に貸与されたのがこのジャケットです。帰るときに、「記念にどうぞ」ともらいました。


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この服を見るたびに、きつい中で働いていたレスキュー隊の人たちのことを思います。

いまも、大変な仕事をしているのでしょう。
被災者の皆さんへの思いと同時に、救助にあたっている方々の安全もお祈りしています。

バンコクの細道;其の五

バンコクの細道;其の壱
バンコクの細道;其の弐
バンコクの細道;其の参
バンコクの細道;其の四

と続いてきたバンコクの細道シリーズです。


だいぶ間が空きましたが、今回はバンコクの中心地でありながら、
典型的な庶民住宅地を通ります。


バンコクの庶民的住宅地といえば、
ホイクワン(Huai Khwang)には穴場の食堂がいっぱい
で紹介したホイクワン。夜ともなると多くの屋台が出てごちゃごちゃの様子がタイらしくて大好きです。
でも、昼間は結構普通の団地で、あまり萌えません。


バンコク中心地で昼から萌えるのがこのルートです。


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高級住宅地のルアムルディからラマ4世道路に出るには、一旦ウィッタユ道路に出てルンピニー公園脇を通る必要があります。
ところが、ルアムルディの角(教会のあたり)をつっきると、素敵な庶民的な住宅地をつっきってラマ4世道路に出ることができるのです。



プルンチット通りからルアムルデー道路(SOI Ruamrudee )の突きあたりに、マハタイ寺院(Wat Mahatai;วัดพระมหาไถ่)の看板があるカトリック教会(Holy Redeemer Church)があります。

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教会の看板


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名前だけではなく、外観も一見「タイ寺院」



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でも中は間違いなくカトリック教会です。



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教会脇の小道をはいって行きます。バイクタクシーのおにいちゃんが沢山います。



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すぐに高架歩道に突き当たりました。


スクンビットからルンピニー公園への遊歩道

で、紹介した歩道です。


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この歩道に沿って東側に向かいます。



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ここで高架歩道をくぐって南下すればわかりやすい道なのですが、、、、

やはりここは、「細道」を行かねばなりません。(その方が面白いし)




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東に50mくらい行くとこのような路地への入り口がありました。入っていきます。



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人がいても怯まずに行きます。 
「どこに行くんだ?」
と聞かれたら、
「ここ通り抜けできる?」
と答えましょう。 親切に教えてくれます。


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なかなか細い道ですね。



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何度か道なりに曲がりながら行くと少し広い路地に出ました。


このあたりは、チュムチョン ポロ(POLO;โปโล)というかなり庶民的な集落です。
(多分近くにPOLOクラブがあるからそう呼ばれる)


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タイで大流行のフラフープをやっています。



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庶民的な住宅地にお約束の庶民的なヨロズ商店です。






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庶民的な住宅地にお約束の水自動販売機とコイン洗濯機です。



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さらに南へ行くと、ボンガイ(BONGAI;บ่อนไก่)という新興住宅地にいたります。新興住宅地に至ると言っても40年前にできた新興住宅地ですが。

#ちなみに、2010年の赤シャツデモ隊を政府軍が封鎖した際には、この付近は赤シャツ隊支持者(庶民)が多いこともあって、また道がかなり入り組んでもおり、封鎖をすり抜けて多くの物資が運び込まれました。


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いやあ萌える庶民的な団地だなあ!



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大規模な団地なので、公共施設も多くあります。コミュニティセンターです。



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これは、バンコク都立コミュニティ保健所


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バンコク都立幼稚園・小学校



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バンコク都立中学校

なお、バンコク都立の学校は庶民的な生徒が多いとされ、ガラが悪いことになっています。
中流以上の家庭では私学に通わせます。




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バンコク都立託児所


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バンコク都立コミュニティ職業訓練センター


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バンコク都立青少年センターです。


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ラマ4世通りが近づいてきました。



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ラマ4世通りに出ました。

かなり庶民的な地区(ポロ地区)から若干庶民の中では豊かな地区(ボンガイ地区)へのブラリ散歩でした。
[ 2011/03/01 21:45 ] バンコクの細道 | TB(0) | CM(3)