「表現の不自由展・その後」 平和の少女像(慰安婦像)について 

5d43c5803b00004d00dae1c0.jpeg


「男性であることを恥じなさい」
と、とあるフェミニズムの専門家から攻撃されたことがある。
「『女性を抑圧し権利を奪ってきた側』である男性であることに恥じなさい」との意味だ。
多分私はジェンダイシューに関して敏感な方だと思うし、私の関わるすべての活動ではジェンダ(それに障害も社会的弱者も)を意識して行っているつもり。
が、もちろん理想どおりにはできない。
それをもって、「男性であることを恥じなさい」と攻撃されても辛い。
というか正直人として反感を感じてします。
(ここでは詳細は書きませんがその言動からは「ハラスメント」を受けたと私は感じています)

「表現の不自由展」での慰安婦をテーマにした少女像の展示に抗議が殺到して中止になったそうだ。残念としか言いようがない。
すごく単純化すると、「日本人であることを恥じなさい」と韓国から言われ続けていると感じ、少なからず日本人がそれに対して反感を感じてることが背景にあるのではないかと思います。

政治的になやりとりであれば、閣僚がカメラの前で笑顔で握手する、厳しい表情をする、それすら政治の世界であり、表面的なやりとりのうらで様々な駆け引きが行われているはずです。(私のような小さな小さな現場ですら、相手の政府のダイレクターとニコニコ握手しながら机の下で蹴り合いなどいつものことでした。必要があれば協働をアピールし、必要があれば交渉決裂をアピールするなどのハードな交渉でした。今だからいえば、さすが政府のダイレクターになる人はそのあたりの交渉に慣れており、交渉で負けたと思うことも多数です。といいつつ、当時机の下で蹴り合いをしていた人たちの多くと今もお付き合いしているのは、蹴り合いも「仕事・立場」でやっていることであり、お互い相手を否定していたわけではないことをお互い知っているからでしょう。

いまの日韓関係が残念ではあるが、一つ一つの表にでてくる施策について「良い悪い」との意見は言いたくありません。

少女が自ら慰安婦になったのか、軍に強制的に慰安婦にされたのかは、それは国と国の外交の世界では重要なことでしょうが、一人の人間としてみたら、「自ら慰安婦になった」であったとしても、社会的な環境(貧困や無言の圧力など)が強制したことには違いはありません。裏でどのような交渉が行われているか知りませんし、それは表にはすぐには出ない話です。

「慰安婦の責任をお前がもて」「日本人であることは恥じなさい」といわれると、反感も持つけど、不幸な過去があり、それを様々な形で後世に伝える努力はしたい。

表現の自由問題とは別の意味でも残念です。
[ 2019/08/05 10:56 ] その他:その他 | TB(-) | CM(2)