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「自立している人」とは?

あなたは、自立していますか?

「自立」という言葉はよく使われている言葉ですが、一方で人によってその意味するところが大きく異なる言葉です。

単純に考えると、自立とは「人の助けを借りなくても生きていける」が自立なのかなあと思います。では、あなたは、人の助けを借りなくて生きていますか?

今日の自分の夕食は、豚のショウガ焼きでした。

人の世話にならないのであれば、豚を育てて(その為には餌を栽培して)、燃料を調達して、水を谷から汲んできて、、、、まさにギャグです。一人では夕食も食べられません。

会社に行くのにどうやって行きますか? バスに乗って、電車に乗って、、、、「人の」助けを借りないのであれば、歩いていくしかないですね。
けんかを売っているのではありません。現在の社会では、「一人で生きていくのは不可能」だってことを確認しているのです。社会・経済のシステムの中で生きているのです。

原始時代では多分「狩りをできるのが自立」だし、近未来の日本の社会では「パソコンが使えるのが自立の要素」かも知れません。

つまり、「自立」とは、状況によって異なるのです。

経済的自立を「自立」という風に使うことがあります。確かにお金は大きな力があります。ニートの若者を「自立しない」若者と経済的状況を指して呼ぶ場合もあります。村落での女性の自立には経済的要素が非常に大きいことも事実でしょう。
でも、一方で「金持ちは自立していて、貧乏人は自立していないのか?」と問われると、ちょっと違うと感じます。

話を変えて、「村の自立」を考えてみます。多くの地域開発プロジェクトが村の自立を目的としています。「昔は村は自立していたのに、先進国の市場経済が村を自立できないようにした」と非難するラジカルなNGOがあります。確かに、昔は地域の中で完結していた社会経済状況が、グローバル化により完結しなくなり、その結果多くの新たな課題が生じたのは事実でしょう。社会経済状況の違いが、自立の意味合いの違いになったということであり、「旧来の自立ができなくなったのは環境が悪いのだ」との意見には自分は同意しかねます。

自分は、個人の自立も、村の自立も、「自ら課題を解決しようとできる状態(≒エンパワーメントされた状態)」を「自立」と呼びたいのですが、どうでしょうか?


以上の考えをもっとわかりやすくするために「障害者の自立」を考えてみます。

自分は近視です。メガネがないととても不便です。
メガネが無い社会では、自分は障害者です。

自分は、走るのが遅いです。
狩猟社会では、狩りができず生きていけなかったでしょう。

英語で会話ができないビジネスマンがいます。
通訳がいなければ彼は仕事にならないでしょう。

なにが言いたいかといえば、
「メガネがあるため」「狩猟社会ではないため」「通訳を雇えばいいため」以上のハンディはハンディで無くなるということです。

障害者(機能の障害)が、障害となるのかならないのかは、社会・経済状況によって異なるということです。歩けない人が、どこにでも車椅子を利用してハンディなく移動できる社会であれば、その人は「障害者」ではなく、単なる「車椅子利用者」です。メガネをかけている人を「障害者」と呼ばないのと同じように。

障害者の自立といえば、自分で服を着れて、自分で食事をできて、自分で顔を洗える、そんな機能面の議論になりがちです。でも、自立というのは社会的なものです。(英語の話せないビジネスマンが通訳を雇うのと同じように)必要に応じて介助者を使えばよい、食事の補助機械を使えばよい、etcなのです。そんなものは、「自立」とは無関係です。

やはり、「自ら課題を解決しようとできる状態(≒エンパワーメントされた状態)」を「自立」と呼びたいと思います。

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