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障害者支援は誰のため?(思い入れ編その2)

しばらく間が空いてしまいましたが、
障害者支援は誰のため?(思い入れ編その1) の続編です。

人間は生まれながら持つ能力に、人によって差がありますよね。

そりゃ、もちろんきれい事を言えば「誰だって努力によって可能性がある」なんて言いますが。
誤解を恐れずに言えば、明らかに人によって能力に差がありますよね。

音痴な子が努力して多少音楽ができるようになるのはあるのかも知れないが、音楽家になるなんてのはまずない。走るのがクラスでビリの子が頑張ってクラスで真ん中くらいにはなるのかも知れないが、オリンピックに出るなんてことはまずない。

さらにいえば、「人は外見ではない」と小学生のときに教わりましたが、「人に好かれる外見」と「人に嫌われがちな外見」というのも確かに存在します。努力によって多少改善する(鏡を見て表情を工夫するなど)のかもしれませんが、本質的には変わりません。
逆に自分の例でいえば、子供のころ、勉強の科目によっては、ろくすっぽ勉強をしていないのに他人より試験の成績がよかった。一生懸命勉強している友達よりも、ちゃらんぽらんな自分の方が、成績がよい。そんな矛盾を感じました。

でも、先生は、「頑張ったね」と自分を誉めるのです。
「自分は頑張っていません。友達の方が頑張りました。試験結果を見たって、頑張ったかどうかわかりません」よっぽど言いたかったのですが、心の中でしか言えませんでした。

逆に、自分は頑張っているつもりのことが、全然結果がでなくて悔しい思いをしたことが、その何倍もあるのです。

そんな、自分の才能だとか、外見だとか、その他の限界に小学生のときからちょっとづつ気がつきながら、中学、高校、社会人になってきたのではないでしょうか?
殆どの人は、どんどん挫折して、そして今の自分があるのではないですか? では、挫折したあなたはダメな人なのですか?

子供の時に、親や先生に言われました。「お前が頑張っても無理だったら『勉強をしろ』なんて言わない。やればできるのに『やらない』からしかるのだ」 心の中で思っていました。 「自分はできないんだ。やればれきるなんて、なんでそんなことわかるんだ?」って。



でも、一応は「よい子」だったので、逆らいませんでしたが。

何が言いたいのかといえば、

音楽ができるかどうかで、どうして人をはかるんですか? 音楽ができない子は努力が足りないのですか?

体育ができるかどうかで、どうして人をはかるんですか? 体育ができない子は努力が足りないのですか?

スタイルや顔の悪い子は、確実に損をするのではないですか? それは本人の努力が足りないのですか?

頑張って勉強をしても試験の点数の良くない子は、本人の努力が足りないのです?

自分は、そうは思いません。「努力した」それが大切なのであって、その「努力した」ことが評価される。そんな世の中が人に住みやすい世の中ではないかと思いませんか?

音楽ができなくても、体育ができなくても、スタイルが悪くても、勉強の点数が良くなくても、そんなことにより、人生の落伍者になる社会ではなく、「できないことが当たり前」「できないことを前提に皆カバーしあいながら生きていく」そんな人生が良いと思いませんか?


そのようなことを書くと、何を青臭いことを書いているんだ? と叱られそうです。
でも、そんな青臭いことが、現実にあり得るのではないかと思ったのが障害者との関わりなのです。
障害者は何らかの機能に障害があるから障害者と呼ばれます。歩く機能や見る機能や考える機能やetc
でも、その障害の程度はもちろん人によって異なります。でも、「障害の軽い人が偉くて、障害の重い人が偉くない。」そんなこと考える人はいませんよね。「ツエで歩ける人はすばらしく、車椅子の人は落伍者」「弱視の人は偉いが、全盲の人はダメな人」そんなことをいう人はいませんよね。障害の程度と人の価値は無関係だと障害者は教えてくれます。

では、「音楽の点数が90点の人は偉くて、音楽の点数が30点の人が偉くない」となぜ考えるのでしょうか?
「数学の点数が90点の人が偉くて、30点の人がダメな人」と、なぜ考えるのですか?

誤解を恐れずにいえば、人は誰もが障害者なのです。音楽の能力に障害があったり、数学の能力に障害があったり。外観に障害があったり。

もちろん、機能面からみたら、「障害者」は「社会生活をおくるのが著しく困難」な人が障害者といえなくないかも知れません。でも、それは医学的に1か0か切り分けたときの場合で、実際は、とっても困難からほんの少し困難までいろいろあるのです。そういう意味で、重大な機能障害は持っている人は少ないのかもしれませんが、みなさんの殆どは障害者です。そして、障害があるからといって、その障害をはずかしがる必要はないのです。
(機能の障害が重い)いわゆる障害者は、それを教えてくれるのです。

障害者支援を行うことは、いろいろな挫折を繰り返してきた99%の人を救うことでもあるのです。


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