成果主義と数値目標 その7 「マンション購入計画」プロジェクト

結婚して子供ができると、営巣本能が芽生えるのか、「自分の家」を欲しくなる人が多いようです。柳沢厚生労働大臣が、結婚して子供が2人が健全(=結婚しない、あるいは子供がいない様態は「健全でない」)との発言がありました。
「厚生労働大臣」の発言としては個人的には許せないものがあります。人の生き方の価値観を「健全」あるいは「不健全」と大臣に判断するのは許し難いと感じます。まさに、そんなものは個人個人が、判断するものではないでしょうか?

と、いつも通り、どんどん話がずれて行きますが、、、、、本題に戻ります。

マンションを購入することを、「マンション購入計画」プロジェクトとして実施することを考えます。プロジェクト期間は1年間としましょう。

1.到達目標は「予算以内で満足できるマンションを入手する」でしょうか。
2.裨益者は、自分および家族
3.プロジェクトへの投入は、マンション購入・手続き費用および自分および家族の人手でしょう。
4.プロジェクトのプロセスは、下記のようになるでしょう。
(筆者は、不動産のプロでもなければ新築マンションを購入したこともないので間違いがあるかも知れません。本文の趣旨は「マンションの買い方」ではなく「成果主義の問題」ですので、間違いがあってもあまり気にしないでください。
(1)各種関連情報(法律・相場・購入ノウハウなど)収集
(2)物件(販売業者)に関する情報収集
(書類での比較、評判収集、現地調査など)
(3)その他ステークホルダー(関係者)との調整連絡(銀行・司法書士・第三者コンサルなど)
(4)契約
(5)引き渡し・引っ越し
(6)各種トラブル対応・ローン返済開始
(7)etc

以上が、1年間の間に満足する結果であればいいのです。

では、数値目標を考えてみましょう。たとえば、次のようになります。

・月々返済金額8万円未満で、70平米以上で、通勤が1時間以内で、周囲は閑静な住宅地で、歩いて5分以内にスーパーがあって、徒歩10分以内に小中学校がある、、、、、、物件を入手する。

でどうでしょうか?

整理します。

プロジェクト目標設定者;自分(および家族)
プロジェクト数値目標設定者;自分(および家族)
プロジェクト評価者;自分(および家族)
プロジェクト裨益者;自分(および家族)
プロジェクトへの投入(人・モノ・カネ)者;自分(および家族)


ですね。

つまり、自分で目標をたてて、投入して、実施して、評価しているのです。

このような場合は、例えば、
「数値目標は達成しているが、とっても使いにくい間取りで不満足」
などはおこり得ないし、
「数値目標は達成していない(月々返済が9万円)、が非常に満足いくマンションが買えた」
などはおこりえます。


では、一般の会社で、あなたが責任者として新規事業を立ち上げる場合はどうでしょう?

プロジェクト目標設定者;自分(会社)
プロジェクト数値目標設定者;自分(会社)
プロジェクト評価者;自分(会社)
プロジェクト裨益者;自分(会社))
プロジェクトへの投入(人・モノ・カネ)者;自分(会社)


会社と自分との関係において多少微妙な点もありますが、基本的には同じです。

ところが、前述の開発援助「環境対策植林プロジェクト」では、

プロジェクト目標設定者;実質ドナー(ドナーの意向に沿わなくてはプロジェクトが始まらない)
プロジェクト数値目標設定者;実質ドナー(ドナーの意向に沿わなくてはプロジェクトが始まらない)
プロジェクト評価者;実質ドナー(ドナーの意向に沿わなくてはプロジェクトが始まらない)
プロジェクト裨益者;住民
プロジェクトへの投入(人・モノ・カネ)者;実質ドナー(ドナーの意向に沿わなくてはプロジェクトが始まらない)


つまり、裨益者(=住民=開発途上国では通常弱い立場にある人)が裨益するにもかかわらず、その他のプロジェクト運営にもスポンサーにも関わっていません。

だから、裨益者の真に求める結果になりにくいのです。

(もちろん、現場では「裨益者に主体的参加をする『工夫』をしています。そういうが『工夫』がうまく機能しているプロジェクトは「良いプロジェクト」というえますが、構造的には上記のような問題があります。

また、例えば、マンション購入後(プロジェクト終了後)、5年して構造設計ミスで強度が足りないことがわかったらどうでしょうか?
「予期できなかった理由によりプロジェクトが失敗した」
と考えるのが普通でしょう、、、、、、

、、、、というのは、普通ではありません。
どうすればいいのか、「必死で対策を考える」のが普通です。
「評価者」=「裨益者」なのですから。


でも、「環境対策植林プロジェクト」終了後5年後に、例えば「植えた木の花粉で深刻な花粉病が広がった」などとなればどうでしょう?
「裨益者」は被害を受けているのですから、必死ですが、ドナーはどのくらい必死になるでしょうか?
裨益者ほどは必死にならないですよね。ドナー側の事情で、「援助は止めた」ってことだってあるわけです。



「開発援助も援助効率をあげるべき」「透明性のある評価をすべき」などは、もちろん賛成ですが、「民間と同じようにすべき」といえば大きな疑問を筆者が感じる理由がこれです。

裨益者と実施者が異なることによって起こることの例は、

恐怖のスロープ バンコク・スワンナプーム空港  もそうです。


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