タイの女の子は、赤ちゃんをあやすのが、なぜ上手なのか?

昨日の続きです。

takaさんのコメント、

バリアフリーが必要な障害者、高齢者、小さな子供(とその家族など)等の方々が設計のプロセスに参加する仕組みを作るべきだとは思うのですが、同時に、社会的弱者では無い人が、常識として身につけておくことも大切だと思うのです。

激しく同意します。より詳しく言えば、ポイントは2点あります。
一点は教育の視点です。もっといえば、統合教育の必要性です。

自分は統合教育について専門的に勉強したことも深く考えたこともありません。しかし、障害を持つ子、持たない子を統合して教育することは、自分以外の多様な人の存在を身で持って学ぶことにとっても有意義であることは、身をもって感じています。自分は子供の時に障害を持つ人ともっと一緒に暮らせればもっと多様な人を理解できたのに、と思います。
統合教育の対極にあるのが、能力別教育です。
確かにエリートを育てるにはよいのでしょうが。少数のエリートのみが幸せな社会が良い社会でしょうか? エリートだっていつ挫折するかもしれませんし。

些細な挫折で自暴自棄になったり自殺にはしったり、、、それは、多様な人の中で育っていないため、少しでもはずれたこと(=些細な挫折)を重大なことのようにとってしまうことによるところが多いのではないでしょうか?
生まれながらの障害者は、ある意味生まれた時点で挫折なのですが、そういった人と一緒に生活することにより、挫折からどのように立ち直るのか、いやそもそも挫折とは何なのか(障害は挫折なのか?)など身をもって感じることが多いのではないでしょうか?
少なくとも自分の子供には、私学や進学校には『絶対に』行かせたくありません。わずかばかりの勉強と引き換えに、大切なものを沢山失いそうな気がします。
(が、嫁ハンは結構教育ママで、家庭内に「多様な意見」があります)



第2の点。こちらの方が大きいのです。
それはコミュニティの視点です。

本来コミュニティには、多様な人がいるはずです。障害者もいれば病人もいる。赤ちゃんもいれば老人もいる。それが本来のコミュニティです。
赤ちゃんずれで開発途上国に行ったことのある人は経験したことが多いと思いますが、タイの若い女性も、子供をあやすのがとっても上手な人が多いです。日本の10代の女の子で赤ちゃんをあやして面倒を見ることが上手な子がどのくらいいるでしょう? あまりいないのでは?
でも、タイでほとんどの女の子は赤ちゃんを上手にあやします。(最近のバンコック子は除くが)

これは、大家族や近所、コミュニティの中に赤ちゃんが必ずおり、子供のときから身近な存在だったせいだと思います。同時に、年寄りもいれば障害者もいるのです。そういったコミュニティの中で多様な人とふれあい、多様な考えを受け入れているのです。

逆に日本では、ほとんどのサラリーマンにとって、コミュニティ(社会)とは会社です。会社は同質の人がそろっています。IT企業の社員は周りもIT企業の社員です。銀行マンの周りは銀行マンばかりです。運送会社社員の周りも運送会社社員ばかりです。年齢も20歳くらいから60歳くらい、実際はもっと狭い範囲でしょう。子供も老人もいません。ましてや障害者は非常に少ないです。一流企業の社員は一流大学卒ばかりで中卒はいません。そんななかで他のカテゴリの人の気持ちを創造できる人は、相当限られていると思いませんか?一流商社の社員が、同僚の気持ちは理解できても、中卒の気持ちを理解するには、よっぽどの想像力を必要とします。

住んでいるところも同様です。ニュータウンやマンションには、新築当時に30歳から40代の年齢層が集中します。また、2千万のマンションには、ある一定の層が、5千万円の一戸建てのニュータウンには、またある一定の層が住むことになります。
それよりまして、それらのコミュニティ自体が希薄なつながりになっています。

そんななかで、takaさんのいう「社会的弱者の気持ちがわかるセンスを身につけるのが無理な社会」が今の日本ではないでしょうか?


そういう意味では、開発途上国の方が「弱者が住みよい社会」ともいえるのです。
ただし、開発途上国でも急速にそのような社会がくずれています。

そのための方策が、
・統合教育の推進
・コミュニティの活性化

だと思っています。

長くなってきました。

学校の授業で基本的なことを教えたり、もっと勉強したい生徒への情報源を提供したりするのも良いのではないでしょうかね?

については、次に書きたいと思います。

ウチの子の小学校の場合

この記事を見て思ったのは、ウチの子は恵まれているなあという点。

ウチの子供たちが通っている学校は、教育委員会が言うところの心障学級(学校ではなかよし学級と呼んでいるようです)が併設されている学校ですし、四肢に障がいを持つ子等もいます。 また、全校の生徒が学年、学級ではなく、学校全体でいくつか班に分かれて活動をする縦割り授業もあり、なかよし学級の生徒も一緒に活動をする機会が多くあります(視覚障がい者や聴覚障がい者の生徒がいないようですが... )。

コミュニティと呼べるまでには到達していませんが、少なくとも隔離されて、何も知ることができないということではありません。 普段、自宅で子供たちと会話していても、子供たちなりに障がいを持つ友達と、何のこだわりも無く、うまく遊ぶ方法を編み出して、仲良くやっているようです。
[ 2007/02/19 23:46 ] [ 編集 ]

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