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想像力の豊かな人

昨日の続きです。
現在、タイ時間では午前4時半。。。。しかし、筆者がいまいる場所ではそうではないのです。徹夜でブログを書くほど熱くなっているわけではありません(笑)



昨日下記のように書きました。

確かにエリートを育てるにはよいのでしょうが。少数のエリートのみが幸せな社会が良い社会でしょうか? エリートだっていつ挫折するかもしれませんし。
少なくとも自分の子供には、私学や進学校には『絶対に』行かせたくありません。わずかばかりの勉強と引き換えに、大切なものを沢山失いそうな気がします。
他のカテゴリの人の気持ちを創造できる人は、相当限られていると思いませんか?一流商社の社員が、同僚の気持ちは理解できても、中卒の気持ちを理解するには、よっぽどの想像力を必要とします。


ところが、いるんですねえ。

エリートで、かつ他人の気持ちがわかる人が、、、、
『よっぽどの想像力を必要とします』と書いたが、その『よっぽどの想像力を持つ人が』少なからずいます。

偉人でいえば、空海もそうだったのだろうし、ガンジーもそうでしょうし、大勢います。
そこまで行かなくても今の日本にも沢山いるんだと思いますし、自分が直接会ったことのある人でも大勢います。
そういう人は、すばらしい、人だし社会の財産です。

この話のきっかけとなったバリアフリーの設計に関しても、「利用者のことを真剣に考えるプロ」はたくさんいるはずです。


問題は、多くの人はそういう人を見たときに、立派な人は社会的に影響をおよぼしがちで(あたりまえ)、その影響には紺と黒とがあって、そのような人を見聞きしたときに、「他の人も(同様ではないかもしれぬが)かなり立派なのだろう」と思ってしまうこともありえるということです。

エリートの存在がいけないのではなく、「エリートに任せておけばよい」と皆が考えることが、皆にとってすみよい社会にならないのではないかというのが、筆者の考えです。





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