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良い家を建てるにはエネルギーが必要(そのエネルギーを持つことがエンパワーメント)

現在、香港のトランジット中に書いています。

バンコク・スワンナプム空港のインターネット環境 記事中で、関西空港が「無料でインターネット使用可能」と書きましたが、ここ香港も無料で使用可能です。

香港は装飾などはあまりないのですが、機能的で自分は好きな空港のひとつです。 なにより、「ラーメンがうまい」のが一番の気に入りですが。コシのある細麺、、、うまかったなあ。 30HK$です。


ところでTakaさん

長文のコメントありがとうございます。期待したとおりのリアクションで(笑)自分のツボにはまりっぱなしです。

(バリアフリーの観点からも、その他の観点からも)使い勝手の良い家を建てようと思えば、『プロの』建築士に頼るのではなく、ユーザー側の姿勢が重要、との話題が続いています。

■エネルギーが必要

自宅を建築するのに、施主の私たち側にも相当なエネルギーが必要でした。
・自分たちの要求を具体化するために、充分な事前調査が必要であったこと
・設計者と対話するため、提案されたこと実際に確かめる必要があったこと
・物理的、経済的制約から、たくさん苦しい選択を迫られたこと

設計士は、住む側の気持ちを分かっているようで、分かっていません。 そういう意味では、さくらぎちょうさんの主張する「利用する側が設計プロセスに参加する」は絶対に必要な条件です。


そうです、自分が言いたいのはまさにこの点です。『設計士は、住む側の気持ちを分かっているようで、分かっていません。』という点です。なぜならば、設計士は家が建ったらおしまいなのです。その後、一生住むユーザーと真剣味が違って当たり前です。
実は作者が関わる「国際協力でも同じ」であることの自分の意見はこのブログでは繰り返してきたとおりです。地域開発において(潜在的にであるにしろ)一番真剣なのは、住民なのです。開発ワーカーでもなければ、役人でもなければ教師でもない。ドナー(援助者)でもないということです。それらの人は、まさにtakaさんのいう『気持ちを分かっているようで、分かっていません。』である可能性が高いのだと思います。

「良い家」とは人によって異なるのがあたりまえで、「良い家」を作るには、住む側、利用する側が主体になる必要が絶対にあります。

で、

しかし、我々、住む側も、実は自分たちの要求を分かっているようで、分かっていませんし、具体化できていません。 そこを具体化するのに相当なエネルギーを必要としますし、要求者側である私たちの「素人の限界」も感じます(ました)。



ということになります。
そのとおりだと思います。
逆にいえば、エネルギーも割かずに、自分にとってベストの家が自動的に用意される、、、、、
そんな期待は、確かに都合が良すぎるのかもしれません。

その「エネルギーを割く」ということが、筆者の考える「エンパワーメント」です。エネルギーを割いて、「良い家を作ろう」というのがです。

その為に具体的には、いろいろ調べたり考えたり、仲間とコミュニケーションをとったりして勉強するのではないでしょうか。
takaさんもしたのですよね。

つまり、

・良い家を作りたいという強い意志を持つ(エネルギーを費やす意欲を持つ)(=エンパワーされる)

→具体的に勉強したり、仲間を作ったり、建築家を活用したり、(ちょっと極端に大きな話になりますが)規制の撤廃や消費者保護を社会に働きかけたり、エネルギーをつかう。

→そして良い家ができあがる

そのようなステップが良い家を建てるための一つの理想的なステップと思いますが、どうでしょうか?
このアプローチを自分はエンパワーメントアプローチと呼びます。

全く逆のアプローチは、下記のようになります。
・良い家を作る専門家が、「良い家」を作る。
・利用者は、ありがたく「良い家」に住む。「使いにくいと思う」のは「わがまま」だと自分にいいきかせあきらめる。


そして、良い家を作る専門家が、可能な限り利用者の声を良く聞いて、可能な限りよい家にする。、、、、、、それがエンパワーメントアプローチとは逆のアプローチです。

そして、より良いものを目指すのであれば、後者でなくエンパワーメントアプローチを自分は支持するのです。


利用者(=バリアフリーが必要とする人)が設計のプロセスに参加する仕組みを作るのと同時に、「利用者をサポートする設計のプロ側の育成や、利用者との信頼関係の構築が欠かせない」と思う訳です。


これに関しては、筆者はちっと違う考えを持っています。もちろん、プロ側に「ユーザー志向」を教育するのはもちろん必要ですが、それはあくまで「サービス(設計)を提供する側が主役の考え方になるのではないでしょうか」
利用者側が真の意味で力を持ち、プロを評価選別することが一番必要だと思っています。そうすれば、自然にプロが利用者のニーズに注意をはからずを得ないでしょう。

プロに「ユーザー側にたって設計するよう教育することは、確かに必要かも知れません。ただし、筆者はそれは限界があると思います。むしろ、「ユーザー側に配慮して設計したのだから、それを受け入れないのはユーザーのわがまま」などとなってしまうのを危惧します。
ましてや、バリアフリーなどはユーザーが弱い立場なのです。
筆者の考えるのは、ユーザーの意向に沿わない設計をするプロは「仕事がとれない」状態にすること、またはそういう仕組みを作ることが必要だと考えます。

意見を言うのは「プロの設計者」ではなく、「ユーザー」です。
ところが、実際は「プロの設計者」の声が大きいのが問題なのではないかと思います。


ちょっと、極端な例になりますが、プロの建築家が、ラーメン屋の店主で、家を建てるのが客とみたらどうでしょうか?
ラーメンがまずければ客は来ません。だから、店主は一生懸命客が来てくれるラーメンを作るのです。
家を建てるのも、利用者のニーズに合致しない建築家には客が来なくなるのであれば、自然に建築家は利用者のニーズに合致しようとするのではないでしょうか?

さきほど、

・良い家を作りたいという強い意志を持つ(エネルギーを費やす意欲を持つ)(=エンパワーされる)
→具体的に勉強したり、仲間を作ったり、建築家を活用したり、(ちょっと極端に大きな話になりますが)規制の撤廃や消費者保護を社会に働きかけたり、エネルギーをつかう。
→そして、良い家ができあがる

と書きましたが、正確にはもうひとつ付け加える必要があると思います。

→その積み重ねにより、利用者のニーズに配慮する建築家が増える

です。


家を建てることで、ムキになって違和感があるかとも思いますが、筆者は、海外開発援助での構図とダブって見えるのです。

家を建てるプロが、開発途上国の政府役人であったり援助側であったりします。そして、家の利用者が、住民です。

政府役人や援助する側の教育は「不要」とはいいません。
が、(潜在的に一番真剣な)住民がエンパワーされて、政府役人や援助する側を教育する、、、、それがエンパワーであり、そのような仕組みを作ることが非常に重要なのではないかと日頃から思っているのです。


私たちが家を設計していた2001年ごろは、日本ではInternetで個人が情報発信することが多くなかったため、施主である個々の人の経験、ノウハウ、失敗談を収集することが簡単ではありませんでした。 本や雑誌を読んだり、niftyの掲示板を参考にしましたが、充分ではありません。

Blog等を使って利用者側が積極的に情報を発信するようになった最近の日本でも、体系立てて設計を依頼する側の視点で情報が整理出来ているかというと、まだまだではないかと思います。 私も人のお役に立てるかと思って、Blogでいくつかの記事を書きましたが、あまり整理できたものではありません。

情報リテラシーという面で比較的恵まれていて、かつ、一般的にはバリアフリーを必要としないケースでさえ、ノウハウ蓄積という面で充分ではない状況です。 

このことからすると、どこかにバリアフリーを必要とする人のための情報、ノウハウを蓄積する仕組みを作ることが重要だと思います。 同時に、社会的弱者ではない人もその情報やノウハウに接して、理解し認識を深め、バリアフリーを必要とする人となるべく同じ立場になって考えられるバックグラウンドを築くことが不可欠だと思います。


そのとおりだと思います。
個人的に最も高い関心がここにあります。情報通信技術(ICT技術)の進歩により、誰もが情報を週発信するハードウェア・インフラ環境は(少なくとも先進国では)かなりできました。しかし、その情報共有技術はまだまだ開発途上です、、、、、が、個人的にはとっても期待しています。ただし、「どこかにバリアフリーを必要とする人のための情報、ノウハウを蓄積する仕組みを作ることが重要だと思います。」この仕組みは決してサービスを提供する側がつくるのではない、サービスを利用する側が構築するのです。

それが、エンパワーメントアプローチにおける情報通信技術の活用の鍵だと思っています。
この「IT技術の開発への活用」(筆者的には「IT技術のエンパワーメントアプローチへの活用」)は筆者個人的には現在の筆者の一番の興味です。が、まだまだ筆者的にも考えがまとまっておらず、また具体的事例も少ないのが現状です。 が、このブログのひとつのテーマとして書いていきたいと思っています。




もう少し具体的な話を聞きたい

さくらぎちょうさんのツボにはまってしまったようで、
このまま、ズルズルと引き込まれそうで怖いです(笑)。

意見が一致しているようで、
少しかみ合っていない部分があるので、
なるべく簡潔にコメントします。
また、議論が発散しないように、
バリヤフリーの建築物の場合に話を限定します。お許しを。


バリヤフリーを必要とする人を、
バリヤフリーの建築物の設計に参画してもらうのは、
"より良い建築物をつくるため"の
 「手段」や「大前提となる入り口の条件」
であって、
 「ゴール」
では無いですよね?

もしかしたら、
"バリヤフリーを必要とする人をエンパワーするため"の
ゴールの一部なのかも知れませんが。


ご理解戴いていると思いますが、
私は、"参画してもらうこと"は、"当然"の前提として、
利用者たる素人や素人に近い人が参画する場合の
問題点や課題について、述べているつもりです。


 >利用者側が真の意味で力を持ち、プロを評価選別することが一番必要
という理念や
 >「ユーザー側に配慮して設計したのだから、
 >それを受け入れないのはユーザーのわがまま」
という論理がまかり通ってしまう危惧
は理解できます。


その上で、もう少し具体的な考え、アイデアを伺いたいのですが、
"利用者が真の意味で力を持つ"までプロセスとして、
私が提案したような方法を採用しないとして、
どのような対応をとることを考えてらっしゃるのでしょうか?
私は、今ひとつ、理解できないので、教えてもらえると嬉しいです。
[ 2007/02/22 23:15 ] [ 編集 ]

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