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「想像力の豊かな」プロフェッショナル

しばらく間が空いてしまいましたが、

家を建てるモチベーション

の続きです。

その前に、


タイの女の子は、赤ちゃんをあやすのが、なぜ上手なのか?

プロフェッショナルな患者

で、社会を変革していくキーマンは、建築家や医師などのプロフェッショナルではなく、サービスを受ける側(=住む人、患者)であると書きました。

なぜならば、「建築家や医師はあくまで当事者ではない。その為ほとんどの人の真剣味は、当事者よりおとる。」との理由です。
より詳細には今まで過去に書いてきました。

そして、プロフェッショナルで、当事者の気持ちがわかる人は、「よっぽど想像力の豊かな人」ではないかと書きました。( 想像力の豊かな人  )

それに対する、takaさんのコメントです。

■よっぽどの想像力を持つ人になりたいと思いますが、ダメでしょうか?

私は、「想像力の豊かな人」の記事の冒頭の書かれていた「よっぽどの想像力を持つ人」になりたい、近づきたいと思うのですが、それはダメでしょうかね?
「エリートに任せておけばよい」と皆が誤解してしまうことにつながるから、「よっぽどの想像力を持つ人」が安易に増えるのは良くないということでしょうか?



いえいえ。最終的には技術はプロフェッショナルが必要なのです。患者がどんなに頑張っても手術はできませんし、建築に素人の住民がちゃんとした家を造ることもできません。IT業界でも、筆者はITを少しかじったことがあるのですが、最近では素人でもデータベースの設計やネットワークシステムの設計ができます。でも、そんな素人の設計した、『一見、動いているように見える』データベースやネットワークシステムなどは目も当てられません。
プロフェッショナルの存在を否定しているわけではありません。

ところが、一般的に未成熟社会では、そのようなプロフェショナルの社会的地位や発言権がとても強くなってしまう。それが問題なのです。

開発途上国では、「政府の役人が上で住民が下」「医師が上で患者が下」そのような発想がまかりとおっていると思います。

「政府の役人は住民のしもべ」「医師は患者が雇った(下にいる)技術屋」、ちょっと差別的な書き方になりますが、そうはいかないのが現状です。

そういう意味で、成熟した社会では、あたりまえのように、住民が主体になってプロフェッショナルを活用できる社会ないかなあと思うのです。

残念ながら、まだまだそのような成熟した社会にはなっていません。

takaさんや多くの人が、そのような社会でのプロフェッショナル(住民が主体となることを当たり前のように受け入れる)となることは、とってもすばらしいことだと思います。

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