「とにかくやってみよう!」的援助について

青年海外協力隊員として活動を始めたばかりの人と話をしていると、
「何をしていいのか判らない、やったことがないので自信がない、、、などという悩み」を話す人が多くいます。

日本では、コンピューターエンジニアなり食品加工技術者なり自動車整備技術者なり、職種が決まれば自ずと「やるべきこと」が決まってきますが、開発途上国では、「技術」の差ではなく、「技術の背景」の社会的な差から、日本での技術経験はそのまま使えることはまれです。

まして、コミュニティ開発、地域開発など、そもそも日本で「そんな分野など無い」ことに携わると、そりゃ、「やったことがない!自信がない!」で当たり前ですよね。

そのあたりのことは、今までもこのブログにいろいろ書いてきました。

(左の記事の分類の「青年海外協力隊JOCV」を見てください)


前置きが長くなりましたが、

そのように悩んでいる人に、「とにかく悩んでいてもしょうがないよ。とにかくやってみようよ! ダメだったらやり直せばいいじゃないか!」とアドバイスする人がいます。そのの考え方についてが今日の本題です。

確かに、いろいろ自分自身で考え、検討を加えた活動計画があって、でも本当にそれでいいか最終的な自信が持てない。そんな人に最期の一押しで、「とにかくやって見ようよ!」との助言は的確な場合があります。協力活動でなくても、何に関しても、100%の自信なんて誰も持てません。そんなとき「とにかくやって見ようよ! ダメだったらやり直せば良いんだ!」で勇気づけられた経験がある人は少なくないでしょう。

また、自分自身のチャレンジに関して、例えば、コンテストに応募するかどうか悩んでいる人に、「悩んでないで、まず行動しよう!」と勇気づけるのは素晴らしいことです。
(実は、筆者は自分自身はそんなに行動的ではないので、誰かに勇気づけられることによって、行動がやっとできるということもあります。)


ところが、開発援助の世界で「とにかくやってみよう」というのは、非常に疑問を感じることがあります。

たとえば、盲人にマッサージを教えて収入源とし、経済的自立を促進しようとするプロジェクト案があったとします。そのプロジェクトが妥当かどうかは、盲人がマッサージを行うことが社会的に認められるのか、あるいは社会的にそのようなニーズがあるのか、どのような収入が得られるのか?などなど、実施前に検討すべきことが沢山あります。そんなとき、十分な検討をしないまま「とりあえず10名に6ヶ月間の研修をパイロットプロジェクトで実施しよう。ダメだったらしょうがない。やらなきゃ何も進まない」などと発言する人がいます。このような発言は、ちょっと見には、積極的な意欲あふれる発言のように思えます。

しかし、

このような発言はあってはならないのです。

なぜでしょう?


もっと判りやすい例を考えます。

農村の収入向上プロジェクトがあったとします。その村では米を植えています。米の価格は低迷しており、代替作物として高級野菜の栽培への転換を行うプロジェクトを計画します。もちろんプロジェクト開始前に、栽培技術の問題だけではなく、市場や流通に関する調査が不可欠です。でも、調査や検討には時間がかかりますし、100%の調査は不可能です。でも、「やってみよう。カット&トライが大切!失敗したらそれも勉強!失敗から学ぶことも必要」で実施したらどうなるでしょう?

驚くべきことに、そのように実施されるプロジェクトを驚くほど見ることができます。

唖然とするばかりです。

なぜでしょう?
答えは、プロジェクトを計画・推進する側、つまりマッサージプロジェクトを実施する側、収入向上プロジェクトを計画・推進する側は、青年海外協力隊員だったり援助関係者だったり、政府役人であたっり、いずれにしろ「失敗してもあまり困らない人なのです」
失敗して決定的に困るのは、「折角自分の時間を半年も費やしてマッサージの勉強をしたのに、収入につながらなかった盲人」であったり、「米を止めて高級野菜を植えたのに、収入が無かったりする農民」であったりするのです。プロジェクトをしなければ「貧しい」であったのが、借金をしてプロジェクトを実行して失敗したがために「極貧」におちる人が最も困る人なのです。


もちろんどんな事業もリスクはあります。でも、そのリスクを踏まえて「とにかくやってみよう」と言えるのは、リスクを負担する側(=障害者、農民)であるのです。援助する側が、「とにかくやってみよう!」というのは絶対にあってはいけないのです。
そのように言えば、多分援助側の人間は、「リスクは十分に対象者に説明済みです。あとは本人の判断を尊重しました」と言うでしょう。

アホか? っていう感じです。 そんなのは逃げ言葉に過ぎません。高等教育を受けて情報も十分持っている人が判断できないリスクを、「障害者や貧困農民の自己責任」とすることは「逃げ」以外の何物でもないのではないでしょうか?

筆者は、リスクがあることをするなと主張しているのでも、チャレンジを否定しているわけでもありません。
むしろ、開発援助では前例やモデルの無いことも多く、試行錯誤は重要であると思いますし、どんな事業でもリスクはつきものです。

それを踏まえて活動する(例;リスクは援助する側がある程度は負担するシステムとするなど)のが重要であると主張しているのです。

援助する側の視点にたった「とにかく悩んでいてもしょうがないよ。とにかくやってみようよ! ダメだったらやり直せばいいじゃないか!」的発想に対して、援助される側の視点に立つよう促したいというのが筆者の考えです。



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