死を招く援助

「死を招く援助」ってタイトルの本を昔読んだ気がします。
タイトルのインパクトが印象的ですが、一方で中身は忘れてしまいました。(なんていい加減!)


筆者は、以前メーカーでパソコンの開発をしていたのですが、機械には設計ミスや誤動作がつきものです。昔のパソコンは今と違って電磁波出まくり(今も相当出ていると思うが)なので、パソコンをつけるとテレビやラジオにノイズが入るってあたりまえでした。特に筆者の設計のパソコンはいい加減な性格の筆者のあらわれか、実にひどい物でした。

あるとき羽田空港に納入されたパソコンにより航空無線にノイズがはいることで問題になりました。

「さっさと対応しないと、飛行機が落ちるぞ!」と担当者から脅され、小心者の筆者としては、自分の責任で飛行機が落ちたらどうしようと青くなったものです。

このような例外はあるものの、筆者の担当していたパソコンは主にオフィス向けだったので、人命には関係ない。よって安心していい加減設計をできました。(オイオイ)

ところが、原子力発電所制御コンピュータだとか車載コンピューター(自動車を制御するコンピューター)などは誤作動をすると、すぐ人間の命に直結するのです。小心者の筆者は、自分にはそんなコンピューターは絶対に設計できないと思ったものです。

で、本題です。
援助の世界でも、実は人命に直結することってあるんですよね。

オフコース メイビー  で、次のような事例をあげました。


難民受け入れ地域は土地が豊富なので農業をやりたい難民は土地がもらえる。しかし、雨季到来ですぐにでも種を蒔かなければいけない時期なのに、種がないらしい。
「種は○○団体がくれると言っていたので待っている」だって。
私はこの○○団体をよく知っているので、○○団体はまだ種を入手していないので「○○団体が種をくれなかったらどうするの?」と聞くと、「そしたら農業はできない」って。「農業しなかったらどうやって食べていくの?」と聞くと「援助を待つ」とのこと。
9家庭訪問して全て同じ答え。いやはや、全ては他人任せなのである。



この難民は援助がなければ、(食料不足により)即生命の危機にさらされるのは明白です。
では、なぜそのような事態になってのでしょうか? これだけの情報では確定的なことは言えません。でも、「種をもらえる」「援助をもらえる」ことへの期待があるのは事実でしょう。
なぜ、そのような期待をするのでしょう?
過去に援助をもらった。あるいは他の場所で援助をもらった人がいる。
つまり、過去に援助を行ったことにより、援助に頼る人たちができた可能性があるのです。

これを、「負のインパクト」と呼びます。

生命に危機が迫っているときには食料や医療などの緊急援助が必要ですが、いわばそれは劇薬なのです。副作用(負のインパクト)がありうるのです。

ましてや、生活を良くするための「生活改善プロジェクト」では、「負のインパクト」を十分に配慮した実施を行わないと、まさに「死を招く援助」になりかねません。

でも、この負のインパクトの検討が不十分なまま進められるプロジェクトって多いと思いません?


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