報告書は必要か?


開発途上国での領収書(偽造しほうだい?)と赤城元農林水産大臣の領収書 で、

適切な支出であることを証明する方法の1つが領収書

であって、

領収書があることが、必ずしも適切な支出である証明にはならない

と書きました。むしろ、適切な支出でも領収書がないこともありますし、事務手続き上領収書の添付を省略する場合もあって当然です。

開発途上国にいると、そもそも「領収書がある」ことなんか殆ど意味を持たないことも多々あり、おのずと「領収書や書類が揃っているか」ではなく、「適切な支出か」としう視点で仕事をしなければならないので、そう感じると思います。

ちなみに、日本の税務署は「タイの領収書などはなから信用していない」とタイで雑貨を買い付けているバイヤーの人が言っていました。
税務署の人はわかっているんじゃん!!

で、前置きが長くなりましたが、今日の本題です。

援助活動の本質はなんでしょう?

当然、「想定する裨益者に裨益がなされるかどうか」です。

当たり前ですよね。 援助プロジェクトが成功したかどうかは、その視点で測るべきです。当然それが本質です。

ところが、最近はしちめんどくさいことがあって、小活動の個別に具体的到達目標があって、「その目標を達成したかどうか」を持って援助プロジェクトを評価します。確かにそれにより、より客観的に透明性のある評価ができます。

ところが、ここでも先の、「領収書」と「適切な支出」の関係がでてくるのです。

「裨益者に裨益がなされたか?」を測る手段として「個別な小活動の評価」があるのですが、「個別な小活動の評価」だけしか見えていないことも多々あるような気がします。あくまで持つべき視点は「裨益者に裨益がなされたか?」なので、「個別な小活動」はその一手段です。そして、その一手段は現場の事情で柔軟に行うべき物で机の上で考えた計画どおりするものではないのです。


さらにいえば、「報告書に何と書かれているか」を持って評価する人たちもいます。報告書は本質ではないのです。あくまで本質は「裨益者に裨益がなされたか?」であるのです。 それを客観的に表現するひとつの手段が報告書なのです。

それがやはり逆転して、「報告書だけが良くて実体はよくないプロジェクト」「よいプロジェクトなのだが報告書が無いことを理由に評価されないプロジェクト」が生まれたりします。


注;筆者は報告書は大切だと思っています。少なくとも援助プロジェクトでは、その費用を支出するスポンサー(青年海外協力隊においては税金を支払う人(=国民))に説明する為にも報告書は絶対に必要です。
でも、あくまで「目的は報告書ではない」ということを協調して書かせてもらいました。




そりゃそうだけど、

京王線さんの言うとおりです。
でも、筆者の主張は、「自己満足的な報告書が多い」ことに疑問を感じるということです。(もちろん報告書は重要であることを前提として)「すばらしい報告書だが中身がいまいち」より、「報告書がないが住民に多く裨益した」援助プロジェクトをきちんと評価することが必要ではないかと思います。ようは、プロジェクトを評価する人は、報告書なんか無視して現場をするどく見る必要があるのではないでしょうか?
[ 2007/08/08 02:11 ] [ 編集 ]

報告書

報告書ってスポンサーに対する義務もあるのかもしれないけど、失敗した場合でも、ちゃんと分析がなされていたら開発に携わる人々の役に立ちますよね。本当は現地の受益者の役に立ればもっといいのだけど、日本語じゃねぇ、、、
[ 2007/08/07 18:11 ] [ 編集 ]

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