人間の安全保障

人間の安全保障を「開発とエンパワーメント」の観点から


国際協力で「人間の安全保障」への配慮は重要な視点です。でも、「なんだそりゃ?」とか「弱者救済?」などという人が多いのではないでしょうか?

実際、国際協力機構JICA(http://www.jica.go.jp/infosite/security/index.html)のホームページを見ても、「「ひとりひとりの人間を中心に据えて、脅威にさらされ得る、あるいは現に脅威の下にある個人及び地域社会の保護と能力強化を通じ、各人が尊厳ある生命を全うできるような社会づくりを目指す考え方である」と定められていますが、その説明では正直よくわかりません。
ここではエンパワーメントの視点から、『自分の理解している』人間の安全保障について少し書いてみます。

「国家の安全保障」は国家に注目し、国民の生命・生活の安全を保障するものとしています。当然、防衛から福祉までいろいろなことがその範疇です。北朝鮮の拉致問題についても基地問題に関しても、国民を守るべき国家の安全保障の考え方の一種ともいえます。

一方で、国家の安全保障の考え方のみでは、国民の生命・生活を保障できないのではないかというのが、人間の安全保障の考え方のスタートです。

(開発・海外援助の視点から見た「国家とは?」はまた別の機会に書きます)

ただ新しい言葉だけに誤解も多いようです。
「国家の安全保障」で対応できない各々の課題に対応するのが、人間の安全保障の考え方ではないかとの考え方が結構蔓延しているように思えます。

『紛争、テロ、犯罪、人権侵害、難民の発生、感染症の蔓延、環境破壊、経済危機、災害といった「恐怖」や、貧困、飢餓、教育・保健医療サービスの欠如などの「欠乏」』といったグローバルな課題に対応すすのが「人間の安全保障」の考え方というような風潮です。
(それが間違っているわけではありませんが、「本質」ではないということです)

例えば、「難民保護プロジェクトなので人間の安全保障プロジェクトです」「障害者支援プロジェクトなので人間の安全保障プロジェクトです」などの説明を聞くことが多くあります。

私は、人間の安全保障の本質は、「個々の弱者にフォーカスしたボトムアップ」であると思います。逆に「国家の人間の安全保障」の本質はトップダウンと思っています。

例えば、障害者支援プロジェクトであれば、「障害者の為の職業訓練センタープロジェクト」や「障害児教育教師育成プロジェクト」「障害者医療リハビリテーションセンター機能強化プロジェクト」などは、「国家が国民の生活を守る福祉の観点から設立・強化すべきものであり、「国家の安全保障」プロジェクトであると思います。

人間の安全保障に配慮した障害者支援プロジェクトなら、「個々の障害者に着目し、障害者自身が成長し、障害者自身が社会の一員として住みよい社会を作っていく」そのような仕組みが必要であると思います。

環境プロジェクトであれば、「国家が森林の伐採を管理し、植林を行う」のが「国家の安全保障」。住民や民間企業・団体が、自ら森林の伐採を管理し、植林を行うのが、「人間の安全保障」です。

もちろん実際のプロジェクトによっては、「どちらか一方」ではなく、多かれ少なかれ両方の考え方がはいっているのですが。
まして、「人間の安全保障」が「国家の安全保障」を否定するものでは決してありません。

人間の安全保障というとっても奥の深いことを書き始めました。そんなに簡単に語り尽くせませんが、ボチボチ書いて行きます。
とりあえず今日はここまで。


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