タイ人の東日本大地震 

日本時間14時46分(タイ時間12時46分)東日本大地震が発生しました。

あまりにも大きな想像を絶する自然の驚異に、最初は実感がわかず、一瞬映画を見ているかのような錯覚にも陥りました。
恐怖を味わい、家族や知人を失い、町や家を失った多くの人のことを思うとなんとも言えない気持ちです。
被災された方々には心からのお見舞いを申し上げます。

また、福島原発の事故にはとてつもない不安を感じつつ、現場で(身の危険もおかして)必死で対応しているであろう人達のことを思うと感謝の気持ちでいっぱいです。




多くの避難できていない人が津波に飲み込まれていきました。
津波の当初は撮影している付近に避難しているであろう人の「驚きの声」が聞こえますが、
後半になるともう何も聞こえません。みな黙りこんでしまったのでしょう。

(避難を呼びかけているのであろう)消防車も津波にのみ込まれてしましたました。
今も危険を顧みずに救助や支援に携わっている多くの人達には感謝と尊敬の思いでいっぱいです。



この地震のことを知ったときには私は外出中で車の中でした。

タイ時間2時過ぎ(日本時間4時すぎ)に東京の知人から
「大きな揺れでしたが大丈夫です」とメールが来たのが私にとっての第一報でした。


すぐ日本に電話をするが東京には全然つながらない。
大阪にもつながりにくいが、大阪は何回かに1回はつながりました。

電話回線がパンクしているのだろうと判断し、それ以上は日本への電話は止めました。

#でも、東京でもインターネットでは結構普通に使えるようで、インターネット経由では電子メール、FacebookやTwitterからリアルタイムに状況がはいってきました。


タイでのテレビでの映像での第一報はタイ時間16時頃だったようで、その映像を見て何人かのタイ人から電話がかかってきました。

「東京が大変だぞ! 東京が津波で流された!」


そのタイで放送された映像は、「お台場の火事の様子」と「津波が車をどんどん押し流されていく(多分)宮古の映像」を続けて放送したみたい。
多くのタイ人は、そのため東京を大津波が襲ったと当初そう勘違いしたようです。


夕方5時ころには、アピシット首相が、

「タイとしても最大限の支援をする」
との発表をしたようです。
(しかし、「具体的には月曜日の閣議で決定する!」って遅いじゃないか!! ってつっこみ )

その後、タイ政府として先行隊の派遣や捜索犬の派遣、緊急支援金などが決定しました。


その後多くのタイ人から電話・SMS・メール・Facebookなどを通じてお見舞いなどの連絡がありました。


テレビやラジオでも大きなニュースとなっています。

「日本は今までタイに大きな支援をしてくれた!
今こそ、タイは日本に支援をしよう」

的な声が多くはいってきます。

「インド洋大津波では日本はタイに緊急援助してくれた恩を忘れるな!」

とか。 (でも、インド洋大津波のときに被災した多くの日本人がタイ人に助けられたんですけど、、、、)


「日本へ支援金を送ろう!」との呼びかけも多くのタイ人のなかから聞こえます。


タイ人の優しさに、うるうる、ときそうです。


#「日本が沈没しても大丈夫! お前は一生タイにいてもよいから!」
などと、とんでもないタイ人もいるが! (一応好意で言っているようです)


なお、3月13日時点でタイ人の犠牲者は報告されていないようです。


ところで、福島原子力発電所のニュースはタイでも第一級のニュースでした。

12日の水素爆発は日本のメディアが慎重な発表に終始しているなか、

「原子力発電所で爆発」とのセンセーショナルな報道がなされたり、
(千葉の石油精製工場の爆発映像を原子力発電所の爆発と勘違いしているタイ人もいました)

13日夕方現在、日本のメディアを見る限り、「(放射能漏れはあるものの)コントロール可能」との文脈でのニュースとなっていますが、タイでは、「メルトダウンの恐怖がある」的なスタンスで放映されています。





この今現在、多くの関係者が危険や疲労と背中合わせで救援作業をされていると思います。

インド洋の大津波
で書きましたが、インド洋大地震のときにボランティアで少し支援のお手伝いをしました。
当初は情報収集を、その後日本の緊急援助隊の受け入れ準備などをしましたが、
その際の緊急援助隊の方々には本当に頭がさがりました。
東京消防庁や警察庁のレスキュー隊の方々が中心でしたが、東京からバンコクの空港を経て、プーケット空港に着いたのは夜。
宿泊場所について機材のチェック。解散になったのは朝1時で、その後仮眠したのち朝3時に集合し現場に向かいました。 宿泊場所もやっと確保したのはボロいホテル、食料もビスケットのようなものしか確保できなかったのですが、不満を言う人は全くなく黙々と作業をされていました。

その際に、私も一時的に緊急援助隊の支援員となって仕事をしたのですが、その際に貸与されたのがこのジャケットです。帰るときに、「記念にどうぞ」ともらいました。


DSC04980_R.jpg

この服を見るたびに、きつい中で働いていたレスキュー隊の人たちのことを思います。

いまも、大変な仕事をしているのでしょう。
被災者の皆さんへの思いと同時に、救助にあたっている方々の安全もお祈りしています。

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