障害者支援は誰のため?(思い入れ編その1)

ちょっと古い話になりますが、門田博光って知っていますか? アキレス腱を切る怪我をし再起不能と言われながらも、40歳を越えてホームラン王になった野球選手です。アキレス腱を保護する特殊な靴を履いて満足に走ることもできないのに、ホームランをどんどん打つ姿は感動的でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E7%94%B0%E5%8D%9A%E5%85%89

スキーのジャンプの原田雅彦選手が、リレハンメルオリンピックで大失敗してしまい金メダルを逃しました。その後自宅まで嫌がらせがあったそうです。相当つらかったのは想像に難くありません。長野オリンピックでも失敗を経て最後に獲得した金メダルは感激しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E9%9B%85%E5%BD%A6

スポーツ選手が、怪我やスランプや、失敗やそういうことを乗り越えていくのを見るのは感動的です。
でも、特殊なスポーツ選手だけでなく、普通の人間にだって怪我や失敗をした人って魅力的に感じませんか? 
自分は、そういう人をとても魅力的に感じるのです。

「何をやっても天才的!」そつない優等生っていますよね。でも、そういう人ってどこか「立派な人だとは思っても、、偉いなあと思っても、、、、少なくとも尊敬できる人ではない」って感じはしないですか? 

もちろん、そういう人も影でとっても努力はしているのでしょう。いや、むしろ、「努力すれば何でもできるんだ。」と周りを勇気づけようとしているかもしれません。

でも、自分のような凡人(殆どの人は凡人だと思います)は「努力しても何でもできる訳ではない」ことを知っています。
「人生は挫折の連続」とまではいかないまでも、数多くの挫折を味わってきました。その挫折の多くが「努力が足りない」だけではなく、他の理由もあったことも知っています。

それなのに、「努力すればできるんだ。頑張ろう」と「努力すればできる人」に「努力してもできない人」が言われたら、とても違和感があり、かつ反発も感じるのです。

最初の話にもどります。門田選手や原田選手に猛烈な感動を覚えるのは、努力ではどうしようもならなかったこと「アキレス腱切断や失敗ジャンプ」を経験し、挫折したこと。そして、それを克服してきたためだと思うのです。門田選手が怪我もなくホームラン王になっていたとしても、原田選手が失敗もせずに軽々と金メダルをとっていたとしても。

世の中の殆どの人は、挫折、失敗を沢山、沢山積み重ねていると思います。失敗挫折を積み重ねた人は、挫折の痛み、失敗のつらさを知っています。それらを経験・糧として生きている先輩はとても魅力的です。挫折や失敗、そういうものが多ければ多いほど魅力的な人ではないかと思います。

高齢者はそういう年齢を重ねた分、挫折、失敗が多いのでしょう。「人生の先輩」と言いますが、私は「挫折・失敗の先輩」だから尊敬できるのだと思います。

障害者。障害があるということは、猛烈な挫折を感じて生きてきたのは想像に難くありません。明るく見える人も相当な葛藤があったはずです。そのような経験をしてきた人はとっても魅力的だと思いませんか?

でも、現在の社会は、子供の時から点数で図られている。点数が高いことが価値があり、低いことが価値がない。そんな社会で育ってきている。
だから、高齢者(多分テストをしても点数が低い)や障害者(多分テストをしても点数が低いことが多い)を尊敬する相手とは見なさない。社会に不必要なな人と見てしまう。心優しい子でも「可哀想な人」との見方しかできなくなるのではないでしょうか。

「社会的地位のある立派な高齢者は尊敬できるが、さえない自分の両親や祖母祖父は尊敬できない」そういう人が増えているような気がします。そんな社会が住みよい社会でしょうか?

障害者支援のプロジェクトは、障害者を支援するだけではなく、「挫折や失敗する人(=殆どの人)」に住みよい社会を作るプロジェクトであると思うのです。つまり、障害者支援プロジェクトは万人の為のプロジェクトということです。


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