日本の政府開発援助(ODA)批判について

日本の政府開発援助(ODA)は、日本政府が開発途上国を対象に開発援助を行なう仕組みです。
それがゆえに、「税金の無駄使い」的論調で批判されることが多くあります。
今朝の読売新聞でも、ラオス造林センターで「甘い需要予測を元にセンターが建設され利用率が低い上に運営に支障が生じている」的な論考でODA非難をしていました。
私も、公金を1円たりとも無駄使いしてもらっては嫌ですし、開発途上国の住民、ひいてはすべての人類への利益の一助になって欲しいと思います。

この新聞記事の内容についてコメントする十分な情報を持ちませんが、全体の論調を見ると、結構悪意に満ちた論調に思えます。「悪」を悪意に満ちて書くならまだしも(「悪」であっても、新聞は冷静に書いてほしいとは思いますが)、何が「悪」なのか明確な説明責任を果たしていない新聞記事のように思えます。

「悪」をあばくのは人間の本能に照らし合わせても楽しいことですし、そもそも一般の国民にとって「お上」のやることにけちをつけることで無意識のうちに自分が偉くなった痛快さがありますよね。小泉元首相の外交政策にビールを飲みながら非難するのはできても、実際にわれわれが外交をできる能力がわけではありませんし。

問題と感じるのは、そういった国民の痛感さ、受けを求めて、新聞が悪探しのみを一生懸命することです。

本当にわれわれが求めているのは、正しい情報です。

ODAが過去多くの成果をあげてきたのは事実だと思います。
でも、多くの課題もあったのは事実です。課題があった(ある)ことが問題だというわけではありません。
むしろ、文化・習慣・社会経済状況の異なるなかで、かつ対象国内の思惑の不一致があるなかで、大変ことも事実です。

ようは、政府開発援助が、どのような方針で対処されようとしている、その方針・実施ののどこに課題があり、どのようにすればいいのか。

そのような視点にたったODA批判が建設的なのになあ。


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